念仏と報恩
提供: 新纂浄土宗大辞典
ねんぶつとほうおん/念仏と報恩
浄土宗の教えから言えば、称名念仏は専ら往生のための教行であり、このこと以外には何の目的も持つものではない。しかし、実際に念仏申すという生活の実地体験においては、その念仏の味わいとも言える身意柔軟や善心が生じることや信心歓喜などの境地を得て、求めずしておのずから仏の恩に対する報恩感謝の思いが生起するものである。『心地観経』二に父母・衆生・国王・三宝の四恩を説き「是の如き四恩は、一切衆生、平等に荷負す」(正蔵三・二九七上)とある。浄土教においては、仏道修行として念仏に励むことこそが報恩行であり、善導は『観経疏』定善義で「もし一人の苦を捨て生死を出ずる者を得れば、これを真に仏恩を報ずと名づく。何を以ての故に、諸仏出世して種種に方便を以て、衆生を勧化したまうことは、ただ悪を制し福を修して人天の楽を受けしめんと欲するにあらざればなり」(聖典二・二五二/浄全二・四〇上)とし、利他のために教化することが報恩であると理解される。念仏のなかに含まれる自利利他の功徳がそのままで報恩の行とされることになる。法然の説く念仏は、「南無阿弥陀仏 往生之業念仏為先」(『選択集』劈頭一四文宇)であり、「往生極楽の為には、…ただ一向に念仏すべし」(『一枚起請文』結語)なのである。
【執筆者:藤本淨彦】