一向宗
提供: 新纂浄土宗大辞典
いっこうしゅう/一向宗
一向俊聖の宗団、一遍智真の時宗、浄土真宗の旧称などの総称。鎌倉時代の末期に書かれた『野守鏡』や『天狗草紙』に一向宗と書かれてあるのが早い記録である。一向とは「今においては、一向往生を思うの大事」(『玉葉』文治元・一一・二三)とあるように、「ひたすら」の意であり、念仏して往生を願うことなどに冠する一般名詞であった。各地を遊行し、踊り念仏を広めた良忠の弟子の一向俊聖や一遍智真の時宗集団に共通する、ひたすら遊行したり、踊り念仏する僧侶や信者たちに対する総称であった。室町時代においては、聖聡の『浄土三国仏祖伝集』に書かれたように、一向や一遍の信者を取り込んで大きくなった本願寺宗団も一向宗と称されていた。しかし、聖聡と同世代を生きた本願寺蓮如は「それ一向宗というは時宗方の名なり…開山聖人定めましますところの当流の名は浄土真宗これなり」(『帖外御文章』四)と主張した。江戸時代にたびたび宗名訴訟が提訴されたが、浄土宗と対立し許可されなかった。一向宗の称を廃して真宗が公称として認められたのは明治五年(一八七二)以降のことである。
【資料】『野守鏡』、『天狗草紙』、『玉葉』、『浄土三国仏祖伝集』
【執筆者:小此木輝之】