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鵜飼大俊

提供: 新纂浄土宗大辞典

うがいだいしゅん/鵜飼大俊

弘化三年(一八四六)八月四日—明治一一年(一八七八)一月一五日。法蓮社性誉円阿。あざなは実証。普如、碧窓ともいう。尾張国中島郡片原一色村(愛知県稲沢市)に鵜飼荘右衛門の次子として生まれる。叔父の善応寺説応のもと出家得度し幼名岩次郎を大俊に。まもなく増上寺学寮に入る。幕末動乱期に米沢の儒士中川雪堂・雲井竜雄と交わり、募兵のため寮を去るも竜雄の計画露見に伴い三年の徒刑に処される。出獄後、増上寺大教院の中講義、大講義を務め、明治七年(一八七四)曹洞宗鴻春倪おおとりしゅんげい・宏仏海・大内青巒せいらんらと仏教書林明教を創立、仏教新聞「明教新誌」を発刊。世寿三三歳。山下現有善知識に請じた。


【参考】大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)


【執筆者:市川定敬】