操作

静恵法親王

提供: 新纂浄土宗大辞典

じょうえほっしんのう/静恵法親王

長寛二年(一一六四)—建仁三年(一二〇三)三月一二日。後白河天皇皇子。母は坊門局、兵衛尉大江信業女。聖護院大宮と称す。建久二年(一一九一)に無品親王むほんしんのうとなり、翌年に藤原北家菩提寺の宇治浄妙院別当、同七年に園城寺長吏おんじょうじちょうりとなった。『四十八巻伝』一三によると、病のため治療を尽くしたが効なく、さらに高僧たちが大般若経を転読して祈禱したが平癒しなかった。そこで法然を招き、臨終の行儀、弥陀本願の趣意を聞き、心に深く感じ、翌日念仏とともに息を引き取ったという。


【資料】『本朝皇胤紹運録』(『群書類従』五)、『四十八巻伝』一三(聖典六)、『琳阿本』五、『古徳伝』五、『九巻伝』二下(以上、法伝全)


【執筆者:福田行慈】