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随応院

提供: 新纂浄土宗大辞典

ずいおういん/随応院

愛知県豊田市寺部町。極楽山不遠寺。三河教区№一六五。大樹寺末。もとは加茂郡力石(豊田市力石町)に文明一一年(一四七九)松平親忠が大樹寺開山愚底弟子悦叟えつそうを迎えて創建した極楽浄土院不遠寺である。長享二年(一四八八)領主鈴木重時により、勧学院文護寺跡と伝えられる現在の地に移転。この際、悦叟は法兄の儀運を招き開山とする。承応元年(一六五二)領主渡辺治綱が母、随応院殿の三十三回忌を営んだ際に院号を改める。また境内の観音堂にある十一面観音菩薩は寺部観音と呼ばれ、親しまれている。


【資料】『蓮門精舎旧詞』一六(続浄一八)


【執筆者:朝岡知宏】