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西親

提供: 新纂浄土宗大辞典

さいしん/西親

安元二年(一一七六)—承久三年(一二二一)七月一二日。藤原光親みつちか法名。才学に秀で、後鳥羽上皇の殊遇を蒙った。九条兼実は臨終の際(一二〇七)、光親に法然の赦免を願う遺言を残し、光親はその旨をうけて法然の赦免をたびたび申し入れている。承久の乱の際、北条氏討伐をはか後鳥羽上皇いさめるも聞き入れられず、乱後幕府方に捕らえられ、承久三年七月一二日駿河国加古坂でちゅうされた。斬首の直前に出家し、西親となる。四六歳であった。


【資料】『尊卑分脈』、『吾妻鏡』承久三年、『四十八巻伝』三五・三六、高田本『伝法絵』下


【参考】三田全信『成立史的法然上人諸伝の研究』(平楽寺書店、一九七六)


【執筆者:南宏信】