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興善寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

こうぜんじ/興善寺

奈良市十輪院畑町。法輪山。奈良教区№七。古くは元興寺境内伽藍に属し「奥の院」と呼ばれたが、天正年間(一五七三—一五九二)浄土宗の寺として金蓮社慶誉が創建、本堂を建立して興善寺と称した。慶安二年(一六四九)本堂再建。本尊は鎌倉初期、快慶作の阿弥陀仏立像(国重要文化財)で、銘によれば天正一七年(一五八九)興善寺創建にあたり東山田原村の念仏衆より寄進された。胎内から法然直筆をはじめ門下の証空・親蓮・欣西円親などの消息と紙背念仏結縁交名けちえんきょうみょうが発見され、第一級史料として重要。


【資料】『興善寺文書』、村井古道『奈良坊目拙解』


【参考】太田古朴『美仏参籠』(綜芸舎、一九七八)


【参照項目】➡興善寺文書


【執筆者:中村勝胤】