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聞経称仏

提供: 新纂浄土宗大辞典

もんぎょうしょうぶつ/聞経称仏

経典の名称を聞くこと(聞経)と仏の名をとなえること(称仏)について、その滅罪の多少を問題とすること。『観経下品上生に「諸経の名を聞くをもっての故に、千劫の極重の悪業除卻じょかくす」(聖典一・三一〇/浄全一・四九)とあり、また「仏名を称するが故に、五十億劫生死の罪を除く」(同)とあることから両者が問題とされる。法然は『選択集』一〇において「聞経の善は、これ本願に非ず。雑業なるが故に、化仏讃ぜず。念仏の行は、これ本願正業なるが故に化仏讃歎す。加之しかのみならず、聞経と念仏滅罪の多少同じからず」(聖典三・一五八/昭法全三三六)と述べ、聞経と称仏の違いについて明らかにしている。良忠は『伝通記』において、善導観経疏散善義、良源極楽浄土九品往生義』によってこれを解釈している。


【資料】善導『観経疏』散善義、良忠『伝通記』散善義記三、聖冏『釈浄土二蔵義』二九


【参照項目】➡滅罪念仏滅罪


【執筆者:工藤大樹】