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罪悪生死の凡夫

提供: 新纂浄土宗大辞典

ざいあくしょうじのぼんぶ/罪悪生死の凡夫

自らが造ったつみとが、また煩悩によって生まれ変わり死に変わりを繰り返している人びとのこと。浄土宗においては、広く現実に生活をしているすべての人びとをいう。これは善導が『観経疏深心釈において、深信の心に二つありとし、「一には決定して、深く信ず。自身は現にこれ罪悪生死の凡夫曠劫こうごうより已来このかた、常に没し常に流転して、出離の縁有ること無し」(聖典二・二八九/浄全二・五六上)と述べ、自らが過去から現在にいたるまで生死輪廻を抜け出せない凡夫であると自覚すべきであると示していることによる。このような自己の把握のしかたは善導独特のものである。浄土宗では、本来具わっている仏性を否定しないが、現にこの娑婆世界に生を受けている我々を、過去の罪業によって生死輪廻を抜け出せ得ない凡夫であると理解する。これは善導の内省から示されたものであり、このような自己認識・規定がいわゆる二種深信信機である。


【資料】『観経疏』、『伝通記』、『決疑鈔』


【参考】石井教道『選択集全講』(平楽寺書店、一九五九)、柴田泰山『善導教学の研究』(山喜房仏書林、二〇〇六)


【参照項目】➡信機・信法深心


【執筆者:沼倉雄人】