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立山信仰

提供: 新纂浄土宗大辞典

たてやましんこう/立山信仰

富山県東部にある立山に対する山岳信仰大汝おおなんじ山(三〇一五メートル)を最高峰に、立山三山として主峰の雄山おやま・別山・浄土山がある。石川県の白山と並び、北陸地方で代表的な山岳霊場として知られる。『万葉集』にも詠まれた古くからの霊山で、立山神や立山権現と呼ばれた。開山縁起については諸説あるが、奈良時代の越中国司であった佐伯有若(またはその子有頼)が、立山で鷹狩りをしていると熊が出現し、山中で熊を射ると阿弥陀仏に変じたため、仏教帰依して慈興と改名し、立山を開山したという。立山権現の本地仏は阿弥陀仏であり、また山岳を極楽浄土と考えるなど、立山信仰には浄土教の影響が見られる。近世の立山は七社二四坊を擁していたとされ、修験者芦峅あしくら寺と岩峅いわくら寺を拠点に活動した。明治初年の神仏分離によって、岩峅寺は雄山神社前立社壇、芦峅寺は雄山神社中宮祈願殿となった。伝承によれば立山にある称名滝は、法然が立山に登拝したとき、どこからともなく称名念仏が聞こえてきたので、称名滝と名付けたとされる。


【参考】高瀬重雄編『白山・立山と北陸修験道』(『山岳宗教史研究叢書』一〇、名著出版、一九七七)、高瀬重雄『立山信仰の歴史と文化』(『高瀬重雄文化史論集』一、同、一九八一)、福江充『立山信仰と立山曼荼羅—芦峅寺衆徒の勧進活動—』(『日本宗教民俗学叢書』四、岩田書院、一九九八)、同『近世立山信仰の展開—加賀藩芦峅寺衆徒の檀那場形成と配札』(『近世史研究叢書』七、同、二〇〇二)、同『立山曼荼羅—絵解きと信仰の世界—』(法蔵館、二〇〇五)


【参照項目】➡山岳信仰立山曼荼羅


【執筆者:大澤広嗣】