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真教寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

しんきょうじ/真教寺

鳥取市戎町えびすまち。久松山常照院。鳥取教区№六。当寺玉誉作『古代真教寺記』(安永八年〔一七七九〕)では、「開山は遠蓮社近誉良達。また天文一四年(一五四五)因幡守護代山名誠通が久松山に城築し、鎮守として山麓に寺を建てて久松山真教寺とした」と伝える。天正九年(一五八一)、豊臣秀吉によって鳥取城が落城した際、援軍として鳥取城に入り応戦した吉川経家は籠城の末自刃し、その位牌真教寺に伝来する。天和二年(一六八二)に良正院(鳥取城主池田光仲の祖父である姫路藩主池田輝政の継室)の菩提寺である慶安寺が焼失した際には、同寺再建までの間、良正院位牌を預かったことにより、同寺再建以後も良正院御影を伝える。近世には遊行上人の宿所でもあった。


【資料】島田良彦他編著『浄土宗大観』三八三~四(一九二三)、『鳥取藩史』四(一九七一)、『鳥取県史』二、六、七(一九七三・一九七四・一九七六)、『兵庫県史』三(一九七八)


【執筆者:米澤実江子】