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登山状

提供: 新纂浄土宗大辞典

とざんじょう/登山状

法然が述べ、聖覚が筆録したといわれるもので、比叡山興福寺など、いわゆる旧仏教勢力が専修念仏を非難し弾圧する中で、それらを和らげる目的で書かれたものとされる。「元久法語」とも呼ばれ、『四十八巻伝』の第三二巻全巻がこれに当てられている長文である。「惣じては生死を厭い仏道に入るべき謂れ、別しては無智の道俗男女の念仏するによりて、諸宗の妨げとなるべからざる旨、聖覚法印に筆を執らしめ、旨趣を述べられける状に云く」(聖典六・五一九)とあって、法然専修念仏者が、仏教への志を持っていて、しかも諸宗の妨げにならないという前置きに続いて本文が始まる。輪廻の中で人としてこの世に生を受けること、その上で仏教に出会えること、この機会に出離解脱でき得ることに率直な喜びを述べ、また出会っていても自分が日常の生活にさいなまれ、あるいは煩悩に振り回されていて、それに気づくことができない現実の人のあり様を指摘して、仏教に心寄せていくことが必要である旨を述べる。そして聖道門の理解を述べ、浄土門へ帰入すべき説明を、菩提流支曇鸞の出会いの話から展開、念仏すべき理由を、さまざまな根拠を示して格調高い文章でつづる。整った簡潔な文章でその格調高い風情から、いくつかの部分が知恩院刊『元祖大師御法語』に収載されている。『四十八巻伝』以外では『和語灯録』六(『拾遺和語灯録』中)のみに見られ、また無住『雑談集』の「無常ノ言」が、登山状の前半部分とよく似ていることから、順当に考慮すれば、法然が述べ、聖覚が書き、無住が採録したと言えるであろう。『登山状』は法然が述べたのではなく、聖覚が作成したという説のほか、『雑談集』の影響の下、後世の人の手によって作成され、法然または聖覚に仮託されたという説もあり、確定していない。


【所収】聖典四、昭法全


【執筆者:伊藤真宏】