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灌仏会

提供: 新纂浄土宗大辞典

かんぶつえ/灌仏会

釈尊の誕生を祝う法会誕生仏に甘茶をそそいで遺徳を讃仰する儀式を行う。仏生会、浴仏会ともいい、明治後期になって釈尊降誕会ごうたんえ花祭りと称した。釈尊三大法要の一つ。釈尊が降誕するときに諸天が降りてきて香湯を灌いだという経説に基づく法会(『灌洗仏形像経』正蔵一六・七九六下)。インド・中国では四月八日に誕生仏を車に載せて市外を巡行する行像を行い(『高僧法顕伝』正蔵五一・八六二中)、中国では内殿で仏に香湯を灌ぎ、僧のために斎会をした(『仏祖統紀』三六、正蔵四九・三四六上)。日本では四月八日にさまざまの草花で飾った花御堂はなみどうを安置して、その中に香湯(甘茶)を入れた灌沐盤を置き、その中央に童形の誕生仏を奉安し、甘茶を頭頂から灌ぐことから灌仏会という。元禄八年(一六九五)に近松門左衛門は『釈迦如来誕生会』を初演し、また歳時記などにも盛行が記されている。明治二五年(一八九二)に慶応義塾演説館で釈迦牟尼降誕会(『浄土教報』一〇五)、翌年に大日本仏教青年会が降誕会(『浄土教報』一四一)を開催した。近角ちかずみ常観は「日本花祭」と題して、同三四年四月八日にベルリンのホテルでの釈尊降誕会を『信仰問題』(附録・三八、文明堂、一九〇四)に記している。近角はじめ姉崎正治、巌谷季雄(小波さざなみ)、美濃部達吉などが発起人となって花御堂を設けて開催し、当地の新聞社は「花の祭り」と掲載した。以後花まつりとして広く行われるようになった。


【参考】鷲尾順敬『仏教風俗灌仏会』(山喜房仏書林、一九二九)、伊藤唯眞「灌仏会と供花」(『仏教民俗学大系』六、名著出版、一九八六)、片茂永「花祭りの創出・軍国調・衰弱—日本文化の断絶と連続の錯綜問題」(『文明21』一三号、愛知大学国際コミュニケーション学会、二〇〇四)


【執筆者:西城宗隆】