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有為・無為

提供: 新纂浄土宗大辞典

うい・むい/有為・無為

因縁による生滅するあり方(有為)と、因果を離れた不生不滅のあり様(無為)のこと。すべての存在(一切法)は有為無為によって分類される。有為はⓈsaṃskṛtaⓅsaṅkhataの訳で、Ⓢsaṃskṛtaは完成された、準備された、洗練されたなどの意味を持つ過去分詞。特に因縁により作為された、生滅するあり方を指す。一方、無為はⓈasaṃskṛtaⓅasaṅkhataの訳で、有為の否定語。因果を離れた不生不滅のあり様を表し、涅槃、寂静などと同義に用いられる。『俱舎論』一(正蔵二九・二上)では、有為法は複数の縁によって作り出された法と規定され、すなわち五蘊のことであるという。有為法は刹那滅であり、必ず刹那に生・住・異・滅の四相を伴う。また無為法には、虚空こくう択滅ちゃくめつ・非択滅の三種を認めている。ただし『異部宗輪論』一(正蔵四九・一五下)には、大衆部などでは別の法も加え、九種を認める異説があったことが記されている。有為法が生滅するということはすなわち、変化し、崩壊し、無常なものだということであり、それらを求めることはむなしく、ただ苦を生むのみである。その変化しつづけるあり様を有為転変と称し、また常住不変のものが含まれないことを諸行無常と説く。諸行無常諸行の原語はⓈsaṃskāraⓅsaṅkhāraで有為と同じ動詞から派生し、有為法とほぼ同じ意味と理解される。仏道修行し、苦を生み続ける無常なる有為世界を離れて、静寂な無為の領域、解脱へ赴くことは仏教徒の共通の目的である。いろは歌における「うゐのおくやま(有為の奥山)」とは、そのような容易に脱しがたい諸行無常世界を表す。無為にはまた、「無為に過ごす」や「無為自然」などの用例がみられるが、仏教無為とは意味を異にする。仏教での無為の「為」は「因縁による為作」であるが、これらにおいては、「為」は「為すべきこと」「能力」「人為」などを意味する。これら無為の反対語はやはり有為であるが、この場合は「ゆうい」と読む。


【執筆者:小澤憲雄】