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智了

提供: 新纂浄土宗大辞典

ちりょう/智了

宝永七年(一七一〇)—安永九年(一七八〇)八月二三日。あざなは明覚。但馬国広谷(兵庫県養父市)の人。了海が但馬地方を教化したとき弟子となり出家道心堅固にして一心念仏上品往生を願って日課一万遍の念仏を誓約した。のちに増上寺宗乗を学ぶ。享保一五年(一七三〇)、奥州を教化。出羽国本庄に到り、請われて常念寺に住する。元文五年(一七四〇)尾張国円成寺において義灯から八斎戒を受ける。名声を聞いた知恩院三世順真に推挙され鹿ししたに法然院に住する。在山すること七年、律風を盛んにし境内の整備につとめ、明和三年(一七六六)六月一二日岡崎法春庵に隠棲。安永九年八月洛北一乗寺清賢院に住し心静かに念仏相続した。


【資料】『略伝集』(浄全一八)、『続日本高僧伝』一〇(仏全一〇四)、『法然院文書』、『東山獅谷法然院誌』(法然院、一九一五)


【執筆者:永田真隆】