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一乗寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

いちじょうじ/一乗寺

福井市足羽あすわ。摂取山来迎院。福井教区№一一。開山勢観房源智とし、法然の名代として源智が北国に派遣され、帰依した道俗により一乗円頓称名を弘める寺を意味する一乗寺が建立されたとする。越前国領主が朝倉義景の頃は一乗谷にあり、柴田勝家の頃、北庄(福井市)に移転、松平家のときに浪花下町に移転したとされる。しかし、第二次世界大戦の戦災で堂宇焼失。昭和三六年(一九六一)現在地に移転された。


【資料】『蓮門精舎旧詞』二八(続浄一九)


【執筆者:竹内真道】


大阪府枚方ひらかた市岡南町。究竟山往乗院。大阪教区№二四三。かつては比叡山別院日吉権現の別当寺院で山城国洛北一乗寺村にあったが、応仁の乱で現在地に移建される。元久元年(一二〇四)聖光は南海地方に念仏行脚に向かう途中、風雨を避けるため現在地に立ち寄り、六字名号を残した。現在も「名残り名号」として伝わっている。応仁の乱の戦火で焼失するが、枚方城主本多政康が別子山に再建。雄誉霊巌の高弟光誉素覚を開山とする。


【執筆者:伊藤茂樹】