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明倫裁縫女学校

提供: 新纂浄土宗大辞典

めいりんさいほうじょがっこう/明倫裁縫女学校

家事、職業に従事する女性の教育訓練のために、大正末から昭和初期頃に東京・三ノ輪の浄閑寺内に設けられた学校。前身は同寺内にあった慈光学園裁縫女学院で、大正一三年(一九二四)一〇月に開始されたが、慈光学園にはこのほか幼児部、青年部、授産部などがあり、青少年教化や隣保事業に取り組んでいた。女学院の創設に際し、慈光学園の学園長であった岩野真雄が主幹を兼任。教育科目には、裁縫手芸の他に、国語、習字、英語、音楽などがあった。また、教育訓練だけでなく、手芸の仕事紹介なども行っていた。当時の在籍者名簿には、会社官庁事務員、家庭内職者、通勤内職者、女子工員などさまざまな職種からの入学者がいたことが示されている。明倫裁縫女学校への名称変更の時期は不明だが、昭和五年(一九三〇)三月の『浄土教報』記事中に「明倫裁縫女学校」の称が見られる。


【参考】『浄土教報』一五六七、一八四四


【参照項目】➡慈光学園


【執筆者:髙瀬顕功】