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意生身

提供: 新纂浄土宗大辞典

いしょうしん/意生身

意によって成立している身の意味で、意成身ともいう。Ⓢmano-maya-kāyaⓉthugs las byung ba’i sku。『雑阿含経』三四に「此に命終して身を捨つれば、即ち意生身に乗じて余処に生ず」(正蔵二・二四四上)とあるのは中有について述べたものであり、『婆沙論』七〇に「問う、何が故に中有を復た意成と名づく。答う、意より生ずるが故に」(正蔵二七・三六三上)と中有が意生身であることが明示される。『婆沙論』では続けて、意生には劫初の人・中有・色界無色界変化身があるとする。一方大乗では『勝鬘経』に、輪廻を離れた不思議変易へんにゃく死には阿羅漢辟支びゃくし仏・大力菩薩の三種類の意生身があって、その意生身無明住地を縁、無漏むろ業を因として生ずるとする(正蔵一二・二一九上~二〇上)。善導は『観経疏』玄義分において、諸師が上品上生上品中生を初地から七地以前の菩薩とするのを破し、その根拠に初地以上の菩薩法性生身・変易生身であるから韋提の請によって往生を求める必要がないことを挙げるが、この変易について良忠は『伝通記』玄義分記五に意成身とし、意願によって本の麤劣の身命を細妙とする故に意成身といい、意願によって新たに生ずるという意味から意生身というとする(浄全二・一七四下)。なお『楞伽阿跋多羅宝経りょうがあばたらほうきょう』二では、意の去る如くに迅速無礙であるから意生という(正蔵一六・四八九下)とし、『同』三には、三昧楽正受意生身・覚法自性性意生身・種類俱生無行作意生身の三種の意生身を説く(正蔵一六・四九七下)。


【執筆者:齊藤舜健】