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廬山衣

提供: 新纂浄土宗大辞典

ろざんえ/廬山衣

五条袈裟の一つ。天台宗の鳳潭󠄂(一六五四—一七三八)が浄土宗小五条を指して廬山衣とする。もと三論宗の衣で堺の旭蓮社に伝わったものとする。『仏門衣服正儀編』(仏全七三)に「廬山衣あり。便ち直綴を着け小五条をかく」とある。


【参考】井筒雅風『袈裟史』(文化時報社、一九六五)、堀井慶雅『法式教案』(浄土宗東部法式教師会、二〇一〇復刻)浄土真宗の恵空(一六四四—一七二一)著『叢林集』(真宗全書六三・二七三)には「黒谷の御弟子みな天台の袈裟なり。三代より禅袈裟となる。西山は西谷の浄音これ俊乗持来の浄土五祖之影、禅家の七条なり。故に天台の袈裟を改めて禅袈裟をかけらる。其れより以来みなしかなり。鎮西は白蓮社宗円入宋して廬山に久住す。袈裟道具已下多く将来す。廬山その飾はみな禅衣たりき。されば宗円禅袈裟をかけしより一宗皆しかりなり」とあり、聖光の弟子白蓮社宗円が天福元年(一二三三)に持ち帰った廬山衣は禅袈裟、つまり南山衣のことであることがわかる。西山派の法興が『浄土五祖図』によって袈裟を改めたのもこの禅衣である。融通念仏宗の記録には浄土宗の袈裟を「呂サン衣」「廬山衣」と呼んでいて、浄土宗の歴代祖師や各寺院の開山の袈裟もほとんどこの廬山衣(禅衣)である。


【参考】『浄土鎮流祖伝』(浄全一七・四三九—四〇)、「法会(御回在)の調査研究報告書」(元興寺文化財研究所、一九八三)


【執筆者:大澤亮我】