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嵯峨大念仏

提供: 新纂浄土宗大辞典

さがだいねんぶつ/嵯峨大念仏

清凉寺で行われる大念仏で、釈迦堂大念仏ともいわれる。その起源は、十万(円覚ともいう)が弘安二年(一二七九)三月、清凉寺念仏会を修し民衆を教化したのに始まる。成立伝承によれば、十万は生き別れの母を求め法隆寺夢殿観音に祈願したところ、融通念仏をもって世の人びとを教化すれば願いがかなえられるという夢告をうけた。よって諸方に道場を設け融通念仏を弘め、夢告によって播磨国において参詣の群集の中の母に会うことができたという。したがって、この大念仏で唱える念仏は「アーミダ」と唱えるところを「ハハミタ」と唱えている。この大念仏は、もと一月・四月・涅槃会・盆・十夜に行われていたが、現在は四月一〇日より三日間行われている。講員は嵯峨在住の人に限られ一〇人一組で組織されている。衣裳は常着の上に白袴、黒色の麻地の羽織(背中に大念仏と白く染め抜いたもの)を着て、肩ギヌ(赤白二色に染め分け)をつける。敲鉦たたきがね六、太鼓一、鰐口一の八人が仏前に向かって二列にならび、前列中央の者が導師となって句頭をつとめる。大念仏の式次第は、浄土宗日常勤行式に準じて行われるが、摂益文の次に敲鉦・太鼓鰐口による曲調のついた念仏を唱えて約三〇分で終わる。なおこの大念仏とともに無言狂言が行われる。これは壬生狂言と同じく十万の発願によるものといわれ、身振りだけの所作で大衆仏教の教えを説くもので、演目は「釈迦如来」「しばり坊主」「時女」「釣狐」「花盗人」など二四種あるという。なお十三詣りの親子がこの狂言を見ると親子の縁がきれないとされる。この嵯峨大念仏狂言は国重要無形民俗文化財に指定されている。


【参考】京都市産業観光局観光課編『京都郷土芸能誌』(京都市、一九五三)、佛教大学民間念仏研究会編『民間念仏信仰の研究』(隆文館、一九六六)


【参照項目】➡清凉寺大念仏壬生大念仏


【執筆者:成田俊治】