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大聖寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

だいしょうじ/大聖寺

愛知県豊川市牛久保町岸組。牛頭山。三河教区№四九。開山は良蓮社宝誉明鎮。今川家の位牌所。永禄三年(一五六〇)五月、織田信長の奇襲により桶狭間において敗死した今川義元の遺骸を奉じ駿河をめざしていた家臣が、その途中、今川家の勢力下にあった牛久保城に運び込み大聖寺に葬り、その上に手水鉢を置いて目印としたという。これが同寺に伝わる義元胴塚の由来である。義元の死は織田信長台頭の端緒となり、三河の形勢も大きく動き、徳川家康は岡崎城に戻ることになった。同寺に残る、永禄六年一〇月二八日付けの今川氏真の寺領等の安堵状には、義元の位牌供養することを命じている。


【執筆者:田中祥雄】


愛知県岡崎市中之郷町字元山。無動山月照院。三河教区№八五。正応元年(一二八八)鎌倉時代末期藤田派性真の草創。藤田派本山として三河地方における念仏道場の拠点となったが、宝徳年間(一四四九—一四五二)に鎮西派に属す。三河における旧藤田派の主な寺院として悟真寺(豊橋市)・隣松寺(豊田市)などがある。一五世高善は徳川家康の幼少時の読書や書の師。永禄三年(一五六〇)織田信長の兵火によりすべて焼失したが、のち家康の外護により再興。朱印二三石二斗。


【執筆者:田中祥雄】