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大乗非仏説論争

提供: 新纂浄土宗大辞典

だいじょうひぶっせつろんそう/大乗非仏説論争

大乗仏教釈尊の説であるか否かについての論争。インドにおいて大乗仏教が発生した段階で、すでに大乗は非仏説であるとの批判があったと考えられている。中国においては論争とならなかったが、日本では近世後半から近代にかけ、伝統仏教が近代化していく過程で大きな問題となった。近世浄土律敬首きょうじゅが最初に大乗仏説への疑問を呈し、同じ浄土律普寂は『顕揚正法復古集』で、教相判釈の理論と実践によって大乗を仏説として理解した。同時代の富永仲基は『出定後語』で、後代の書き加えによって大乗が付加されていったとする加上説を述べ、国学の平田篤胤は『出定笑語』などで仏教を激しく批判した。明治に入ってからは、井上円了や宗教学の姉崎正治らによって論じられたが、明治末期に村上専精が、普寂の影響を受けて『大乗仏説論批判』を著し、歴史的立場と教理的立場の二分を主張して、一応の解決をみた。


【参考】村上専精『大乗仏説論批判』(光融館、一九〇一)


【参照項目】➡敬首普寂


【執筆者:西村玲】