操作

地論宗

提供: 新纂浄土宗大辞典

じろんしゅう/地論宗

世親『十地経論』に基づく学派。『十地経論』の菩提流支訳を研究する人が中国北方に六世紀から七世紀初頭にかけて輩出、その学派を総称して地論宗という。『十地経論』は『華厳経』十地品の註釈書。智顗吉蔵・慧均などの著作に「地論宗」や「地論師」の用例があり、道宣続高僧伝』に多くの『十地経論』研究者が出ているので、仮に広く地論学派を地論宗とも呼ぶ。後の北斉の鄴都ぎょうとはこの学派の中心地となり、そこで南道・北道二派が分かれた。南道派から華厳学派が発達、また南道派には浄影寺慧遠などが属する。曇鸞世親著・菩提流支訳『無量寿経論』に注釈を書き、『往生論註』を著し、道綽は『安楽集』を著した。両者は共に地論学派の成果を批判的に吸収しつつ、中国浄土教の基盤を確立した。後の真諦による『摂大乗論』訳出による摂論学派の発達は北方の地論の伝統の上に開花した。また、玄奘が若年にして学んだのもこれらの地論・摂論の学問であり、より確かな唯識教学を求めてインドに旅立った。地論学派の成果は南方の三論・天台の教学にも批判的に受用された。


【参考】吉津宜英「地論師の呼称について」(『駒沢大学仏教学部研究紀要』三一、一九七三)、坂本幸男『華厳教学の研究』(平楽寺書店、一九五六)、石井公成「敦煌文献中の地論宗諸文献の研究」(『駒沢短期大学仏教論集』一、一九九五)、伊吹敦「地論宗南道派の心識説について」(『仏教学』四〇、一九九九)、青木隆「地論の融即論と縁起説」(『北朝隋唐中国仏教思想史』法蔵館、二〇〇〇)、大久保良峻編『新・八宗綱要』(同、二〇〇一)


【執筆者:吉津宜英】