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国分寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

こくぶんじ/国分寺

奈良時代、『金光明最勝王経』に基づき、四天王による国家鎮護を目的として各国に設置された寺のこと。正式名称は「金光四天王護国之寺」という。天平一三年(七四一)聖武天皇の発願により各国に設置され始め、七七〇年代にはほぼ全国に造立された。『法華経信仰に基づく国分尼寺(正式名称は「法華滅罪之寺」)と共に各国府のそばに建立され、大和国の東大寺を総国分寺とすることで、中央集権・民衆支配の象徴としても機能した。各国分寺には三綱と共に二〇名の僧が配置され、毎月八日の『最勝王経』転読と毎月半ばの羯磨かいこんま読誦とが定められた。律令制度の弛緩しかんにより国家からの財政支援が途絶えた古代末期から中世にかけて、多くの国分寺は荒廃・衰微するに至るが、真言律宗の大和国西大寺・鎌倉極楽寺末寺となるなど、建立当初とは異なる宗派の保護下に入ることで廃寺を免れた寺も少なくない。


【資料】『続日本紀』一四・天平一三年三月乙巳条


【参考】家永三郎「国分寺の創建について」(『上代仏教思想史研究』畝傍書房、一九四二)、追塩千尋『国分寺の中世的展開』(吉川弘文館、一九九六)、角田文衛「国分寺の創設」(『平城時代史論考』吉川弘文館、二〇〇七)


【執筆者:冨樫進】