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名号為体

提供: 新纂浄土宗大辞典

みょうごういたい/名号為体

浄土三部経」は阿弥陀仏名号をもってその経説の中心としているということ。曇鸞は『往生論註』上において「無量寿はこれ安楽浄土如来の別号なり。釈迦牟尼仏、王舎城および舎衛国に在して大衆の中において、無量寿仏荘厳功徳を説きたもうに、即ち仏の名号をもって経体となしたまえり」(浄全一・二一九上)と指摘し、良忠はこの「仏の名号をもって経体とな」すということについて、『往生論註記』一に「今、経の所詮専ら仏名に在るが故なり。言うところのたいとは、すなわちこれ、かの仏の修生顕得の三身、万徳総別の功徳みなこれ仏体なり。すなわちこの体をもって名号に摂在す。今、経の宗致この意を出でず。故に仏名をもって、もって経体となす」(浄全一・二六二下)といい、阿弥陀仏のあらゆる功徳は仏の体であり、そのあらゆる功徳阿弥陀仏名号の中に摂しているということは、「浄土三部経」の帰結するところであると解釈している。なお「経体」の経が「浄土三部経」と『無量寿経』のいずれを指すかという議論を三経通申論別申論といい、良忠は「浄土三部経」であるという通申論の立場をとっている。


【資料】『往生論註』上、『往生論註記』一、『伝通記』玄義分記四


【参照項目】➡通申論・別申論経宗・経体名号実相


【執筆者:石川琢道】