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通申論・別申論

提供: 新纂浄土宗大辞典

つうしんろん・べっしんろん/通申論・別申論

諸々の経典や論書を通じてその趣旨を述べるものを通申論といい、それとは逆にある特定の経典についてのみ解説するものを別申論という。例えば、龍樹の『中論』や『十二門論』は前者にあたり、『大智度論』は『大品般若経』のみの注釈書であるため後者にあたる。中国の三論宗の祖・吉蔵の創始した術語である。『三論玄義』には「諸部の通と別との義を明かさん。論に二種有り、一つには通論、二つには別論なり。若し通じて大小の二迷を破し通じて大小両教をぶるは、名づけて通論となす。即ち中論是なり。…二つに別論とは、別して大小の迷を破し、別して大小教を申ぶるを、名づけて別論となす。摂大乗論・地持論等の如きは大乗の通論といい、十地論・智度論等は大乗の別論なり」(正蔵四五・一〇中)とある。


【執筆者:石川琢道】


世親往生論』は、「浄土三部経」すべての内容に通じてべるもの(三経通申)であるのか、『無量寿経』だけに別して申べるもの(一経別申)であるのか、という問題についての議論。通申論にも、「浄土三部経」のみに通じるとするものと、広く浄土諸経典に通じるとする二説がある。曇鸞は明確には述べていないが、『往生論註』上に「釈迦牟尼仏、王舎城および舎衛国に在して、大衆の中において無量寿仏荘厳功徳を説きたもう」(浄全一・二一九上)としていることから、通申論に立っていたものと考えられる。良忠は『往生論註記』一において、「〈無量寿経〉とは所依の経を挙ぐ。これ三部に通ず」(浄全一・二五七上)として、三経通申であるとしている。また良忠は、宗暁『楽邦文類』は浄土諸経通申論を、智昇『開元釈教録』や智光無量寿経論釈』は無量寿経別申論を採っていることを紹介している。


【執筆者:曽和義宏】