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吉水智海

提供: 新纂浄土宗大辞典

よしみずちかい/吉水智海

明治五年(一八七二)—明治三七年(一九〇四)四月二日。短い生涯の中で、師弟育成と中国仏教史研究に精励する。現在の福井県越前市に生まれる。明治三二年(一八九九)浄土宗大学卒業後、京都第五教校教授に任じられ、翌年には現在の滋賀県高島市マキノ町西浜青光院の住職となる。同三四年山口第七教校校長に選任され、校風の改革を行うなど学校教育発展に尽くす。一方で中国仏教史の研究を進めながら学術雑誌にその成果を発表、中国仏教史研究の先駆者として高く評価された。同三六年病のため自坊に戻り、静養を続けながら『支那仏教史』を脱稿、その翌年に遷化した。同三九年望月信亨の意向により、発行に至った。その著書は、後漢末から清朝末までの仏教史を伝訳・講究・立教・存立・漸衰の五期に分け、考察している。


【参考】吉水智海『支那仏教史』(金尾文淵堂、一九〇六)


【執筆者:伊藤瑛梨】