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勧修浄土文

提供: 新纂浄土宗大辞典

かんじゅじょうどもん/勧修浄土文

一巻。『勧修浄土三章』ともいう。明・袾宏撰。一六世紀頃成立。袾宏往生集』に付載された、浄土の行を修することを勧めた文。①普勧為人必修浄土、②勧修浄土代言、③仏示念仏十種功徳の三章からなる。①では経論や釈文から念仏に関する文を引用し、②では浄土関係の典籍名を、現存するものと失われたものとに分類して列記し、③では念仏に一〇種の功徳があることを述べている。


【所収】『往生集』(続浄一六)


【参考】荒木見悟『雲棲袾宏の研究』(大蔵出版、一九八五)


【執筆者:曽和義宏】


一篇。宋・死心悟新撰。一二世紀頃成立。禅宗の僧である死心が浄土往生を勧めた文。惟則『浄土或文』に引用される。阿弥陀仏は念じやすく、浄土には生じやすいとする。また参禅の人は念仏をするのがよいとし、その理由は根機が鈍かもしれず、そうであれば大悟は恐らく不可能であるが、阿弥陀仏願力によって往生し、大悟することができるからであるとする。また、もし往生できなければ舌を抜かれる地獄へ堕ちるに違いない、と述べている。


【所収】惟則『浄土或文』(正蔵四七)


【参考】望月信亨『中国浄土教理史』(法蔵館、一九七五)


【執筆者:曽和義宏】


一篇。南宋・鄭清之編。一三世紀頃成立。世の人はみな浄土の教えは禅教律に及ばないというが、禅教律は往生浄土の行を修するに及ばないとして、浄土門修行を勧めた文。王日休龍舒浄土文』一一に引用される。浄土門を勧める理由として禅教律では戒定慧を得ることはできないが、念仏するときのみ戒定慧を得ることができ、自分の心と仏の心が一つとなって無差別となると説いている。これが浄土を修する極致であるとして、浄土を修することを勧めている。


【所収】王日休『龍舒浄土文』一一(浄全六・九〇八下正蔵四七・二八五上


【参考】望月信亨『中国浄土教理史』(法蔵館、一九七五)


【執筆者:曽和義宏】