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二尊一教

提供: 新纂浄土宗大辞典

にそんいっきょう/二尊一教

釈迦弥陀の教説は説く側と説かれる側という関係にあるが、本来一つの教えであるという浄土宗の捉え方。二尊二教の対。二尊一致ともいう。良忠は『観経疏略鈔』一に「釈迦弥陀の事を説くが故に能説所説を合して二尊教と云うなり。此れ乃ち二尊一教なり。有るが云わく、二尊二教なり。釈迦教とは要門(定散)なり、弥陀教とは弘願四十八願)なり。今、此れは甘心せられず」(浄全二・四四六下)といい、二尊二教を説く西山義を批判している。聖冏は『糅鈔にゅうしょう』一〇に「自義は是れ二尊一教の義なり」(浄全三・二三七下)といい、さらに聖聡も『大経直談要註記』四に「今釈迦一代の化儀は亦た浄土の一門を開くなり。釈尊弥陀の願を説きたもうが故に二尊一教なり」(浄全一三・四六上)といっている。


【資料】『伝通記』玄義分記二


【参照項目】➡二尊二尊教二尊二教


【執筆者:笠島崇信】