ウィンドウを閉じる

Z1540 念仏無上醍醐編 諦忍 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
Z15_0153A01: なり。其三願の內の來迎の願は。正しくこれ現其人
Z15_0153A02: 前の本願なり。若爾らば下品下生の來迎は報身なる
Z15_0153A03: こと必せり。若報身ならずんば。第十九の本願忽ち
Z15_0153A04: 虛妄と成べし。大凡そ觀經には九品の內。上中二品
Z15_0153A05: には都て念佛を說ず。下品に至て初て念佛を說り。然
Z15_0153A06: に善導大師は經の現文に拘はらず。念佛を九品に涉
Z15_0153A07: して。日課三萬返以上の人を上品上生の行者と定め
Z15_0153A08: 給へり。故に徹選擇曰。觀經九品之中。皆可念佛
Z15_0153A09: 但是存略也。已上今亦是に凖例するに。念佛旣に是
Z15_0153A10: 生因本願たる上は九品悉く報身の來迎なるべきこと
Z15_0153A11: 決定せり。若爾らば此金蓮華則ち彌陀の三摩耶形報身
Z15_0153A12: なること倍以て理在絕言なるものか。又鎌倉宗要曰。
Z15_0153A13: 臨終一念十念者亦可キヤ上上耶。答。有云。不可然
Z15_0153A14: 云臨終十念猶可上上也。其故者。機雖惡人[なり]ト
Z15_0153A15: 遍數雖。雖菩提心。而宿善深厚者。鴦掘摩羅等也。
Z15_0153A16: 大利無上功德。而發[シテ]信心。修念佛。行業精强。願
Z15_0153A17: 心勇猛ナラハ者。縱惡人[なり]ト上上。若それ上上
Z15_0153B01: に生ぜば。來迎は必ず報身なること。亦決して疑な
Z15_0153B02: き者なり。故に了譽の直牒第九に。來迎。下品五逆
Z15_0153B03: 廻心通スルハ上上。可報身也と定判せり。意を留
Z15_0153B04: めて九思せよ。上來は金蓮華則ち報身なるの義を立
Z15_0153B05: 畢んぬ。自下は此日輪則ち彌陀觀音なる證を引ん。
Z15_0153B06: 昔し宋朝に姚行婆と云者あり。專修念佛して暫らく
Z15_0153B07: も懈らず。或時夕暮に西に向ひ日輪に對して坐す。
Z15_0153B08: 俄に日輪の中に彌陀の像を現ず。妙相畢く具はる。且
Z15_0153B09: 驚き且喜で。畫を能する喩彌陀と云僧を呼て見せし
Z15_0153B10: めて。其相を畫しめたり。妙行法師。此畫像を見て隨
Z15_0153B11: 喜して偈を著して讚歎す。樂邦文類第五に見たり。
Z15_0153B12: 大明の姚少師も此事を諸上善人詠に載て讚して曰。
Z15_0153B13: 行婆心只在西方。觀想澄凝不クモ。已彌陀親
Z15_0153B14: スルヿヲ。日輪中紫金光已上是日輪則ち彌陀なるの現
Z15_0153B15: 證なり。又日本にも日輪の中に彌陀を見たる人數多
Z15_0153B16: あり。淨土高僧傳に曰。圓光大師。昔[シテ]太神宮。祈
Z15_0153B17: センヿヲ本地身。至第七日曉天。拜紅日之中スルヲ

ウィンドウを閉じる