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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0689A01: 十八箇條僧侶懲戒規則十八箇條。敎師功績詮考及進
J20_0689A02: 級規則。敎師檢定條規。宗會規則十五箇條。宗會議員
J20_0689A03: 選擧規則十六箇條等なり。其從來の宗制宗規と著し
J20_0689A04: く異なる點は。管長は四箇本山住職中より選擧する
J20_0689A05: 代りに。增上寺黑谷百萬遍淨華院の順序を以て主務
J20_0689A06: 大臣の認可を得て上任することとし。別に選擧を須ゐ
J20_0689A07: ずとしたること。敎區制度に於て從來四十或は三十四
J20_0689A08: の多數ありし大敎區を八大敎區に纒め。敎育布敎財
J20_0689A09: 政等の事務を集束したること等なり。
J20_0689A10: 明治四十四年三月廿七日第十定期宗會を開き宗制
J20_0689A11: 宗規を更定す。宗制は敎旨・敎式・管長・宗務所・
J20_0689A12: 宗會・敎區・僧侶・寺院・住職・檀徒信徒。寺院財
J20_0689A13: 産・宗費補則の十三章六十八箇條にして。其著しく
J20_0689A14: 從來と異なるは。增上寺を以て知恩院と共に管長住
J20_0689A15: 職寺としたることと。大敎區を全廢し從來の小敎區を
J20_0689A16: 以て敎區とし總て之を宗務に隷せしめ。頗る中央集
J20_0689A17: 權に力めたる點にあれども。大正二年三月の第十一
J20_0689B18: 宗會には。更に之を四十六大敎區に改め。殆ど三十
J20_0689B19: 一年改正以前の狀態に復歸せり。
J20_0689B20:
J20_0689B21: 第二章 敎育
J20_0689B22:
J20_0689B23: 維新の當初は宗侶一般が進退に迷ひ五里霧中に彷
J20_0689B24: 徨したるを以て。子弟敎育の如きは殆んど顧るの餘
J20_0689B25: 裕だになかりしが。慶應四年七月淨國寺徹定。無量
J20_0689B26: 覺院大雲等は大僧正等譽明賢の命を受けて縁山内源
J20_0689B27: 興院に興學所を設置し。宗門靑年子弟を集め敎導せ
J20_0689B28: んとし。義應。龍成を以て講師となす。幾もなく勸
J20_0689B29: 學院と改む。是實に東西學林一宗學校の濫觴也。次
J20_0689B30: で明治三年二月知恩院にも設置せられて。東西兩勸
J20_0689B31: 學院の對峙を見るに至りたるのみならず。同年五月
J20_0689B32: 山口にも講學場設けられ。錄所よりは淨國寺徹定及
J20_0689B33: 現有恢嶺等を遣し。書籍三十六部金百圓を贈りて奬
J20_0689B34: 勵せり。
J20_0689B35: 勸學院創立當時の學則は不明なるも。明治九年淨

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