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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0612A01: 澄禪が盛に天下を遊化したる頃。忍澂あり延寶九
J20_0612A02: 年五月獅子谷に法然院を開く。師は學業精深。識見高
J20_0612A03: 邁にして。特に宗乘に洞達せり。彼大藏經校合の事
J20_0612A04: 業の如き。諸宗の學者の感歎措かざる所なるが。宗
J20_0612A05: 乘に關する其著述の如き。文章調達條理明快にし
J20_0612A06: て。讀者をして首肯せしめずんば休まざるの概あ
J20_0612A07: り。故に稱念彈誓二師が單に實行により祖風を煽揚
J20_0612A08: せしとは趣きを異にし。宗義の究明を以て祖意を顯
J20_0612A09: 彰するに黽めたり。獅溪に歷世宗乘學者の多く輩出
J20_0612A10: せるは之が爲にして。宗學の講究に寄與する所多か
J20_0612A11: りき。然れども世俗の名利を遠ざくる點に於ては。捨
J20_0612A12: 世流たるを拒むべからず。
J20_0612A13: 澄禪。忍澂と殆ど時代を同うし。奧羽の地に專念主
J20_0612A14: 義の宗風を弘通したる良崇無能あり。師の居奧州桑
J20_0612A15: 折の菴室は不能によりて擴張せられ。無能寺と號し
J20_0612A16: 律院とせられたりと雖も。無能の捨世主義も併せ行
J20_0612A17: はれて近代に及べり。
J20_0612B18: 忍澂。澄禪。無能三師と同時代の後輩に向譽關通
J20_0612B19: あり。尾張海西郡大成村の人。幼にして海東郡中一
J20_0612B20: 色村西方寺の靈徹に就き得度す。忍澂の入寂せる正
J20_0612B21: 德元年十六歳にして江戸に赴き縁山に掛錫し。其翌
J20_0612B22: 年より祐天大僧正に就き三脉を相承し。又瓔珞菴敬
J20_0612B23: 首和上に就き重ねて菩薩戒を受く。或時釋書宗祖傳
J20_0612B24: を閲し宗祖の要心を悟り。爾來宗乘を研究し日課稱
J20_0612B25: 名三萬遍を勵む。增上寺に留錫する十三年にして。享
J20_0612B26: 保八年西方寺に歸省す。同十年伊勢國長島光岳寺に
J20_0612B27: 住し。次で師跡西方寺を董し近隣の道俗を攝化す。
J20_0612B28: 元文年中西方寺を律院とし圓成寺と改め。義燈和上
J20_0612B29: を請して住職とす。後更に西方寺を造りて住す。延享
J20_0612B30: 五年江戸に再遊し。淺草に獅子吼菴を建てて敎化す。
J20_0612B31: 寬保元年京都に錫を飛ばし。四條金蓮寺に寓せしが。
J20_0612B32: 明和七年二月二日北野轉法輪寺に示寂す。師の主義
J20_0612B33: は彈誓。忍澂の中庸を取り。實行に偏せず學問に局
J20_0612B34: らず。醇粹なる敎義の翫味より出立して。勇猛なる念

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