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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0599A01: 又寺格により之れを區別すれば本山・檀林・紫衣
J20_0599A02: 地・別格寺・能分地・西堂地・平僧寺・塔頭となす
J20_0599A03: をうべし。而して此れ等は孰れも官僧地と稱し。正
J20_0599A04: 色衣を被着する寺院なるも。此れ等官僧地のほか
J20_0599A05: に。非正色の衣を着し。寺格に關せざる捨世地。律
J20_0599A06: 院なるものあり。今此の區分に從ひ。本期に於ける
J20_0599A07: 寺院の概略を述ぶべし。
J20_0599A08: 一 本山
J20_0599A09: 本山には總本山と單に本山との二種あり。總本山
J20_0599A10: は知恩院にして。本山は知恩寺。金戒光明寺。淨華院
J20_0599A11: の三箇寺なり。或は知恩院の總本山たるに對して。
J20_0599A12: 三山或は三箇山と稱することあり。
J20_0599A13: 知恩院は宗祖入滅の地にして一時遺骸を葬られし
J20_0599A14: 所なれば。之を一宗の總本山とするは強ち理由なき
J20_0599A15: ことにあらずと雖も。嘉祿三年遺骸の他に移され。安
J20_0599A16: 貞二年之が荼毘せられ分骨せらるるに及びては。廟
J20_0599A17: 所は諸所に搆へられ。本所に關して多少歸趨に迷は
J20_0599B18: せしむる傾なきに非ず。加之祖跡を相續したる勢觀
J20_0599B19: 房源智は。大谷禪房並に加茂河原屋の兩所に住した
J20_0599B20: るが故に。兩所によりて起れる知恩院と知恩寺と
J20_0599B21: は。往往住職を同くしたるも。兩者本末の爭は漸次
J20_0599B22: 激烈となれり。即大譽慶竺は兩者兼管したる一人な
J20_0599B23: るが。而も知恩院よりも知恩寺に勢力を傾けしため
J20_0599B24: か。嘉吉三年正月十一日。知恩寺を以て淨土宗第一
J20_0599B25: となすの敕旨を賜ひ。香衣を大譽に賜ひ。且宗侶の
J20_0599B26: 香衣綸旨の執奏も同寺よりするの例を開きたりと云
J20_0599B27: ふ。大譽の後。善譽。法譽等相繼ぎて朝廷の歸信厚
J20_0599B28: かりしかば。一時は知恩寺は知恩院を凌駕し。却て
J20_0599B29: 總本山たるの形勢を呈せしが。知恩院に於ても前述
J20_0599B30: の如く。周譽・勢譽・肇譽・超譽等相繼ぎて關東三
J20_0599B31: 河より晋山し。孜孜興隆に黽めたるを以て。容易に
J20_0599B32: 彼が下風に立つを肯んぜず。爲に朝廷將軍家の葬儀
J20_0599B33: 法會等の際には。諷經の席次の上下。納經の前後を
J20_0599B34: 諍ひて相降らず。朝廷將軍家を勞したること一再に留

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