浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0599A01: | 又寺格により之れを區別すれば本山・檀林・紫衣 |
J20_0599A02: | 地・別格寺・能分地・西堂地・平僧寺・塔頭となす |
J20_0599A03: | をうべし。而して此れ等は孰れも官僧地と稱し。正 |
J20_0599A04: | 色衣を被着する寺院なるも。此れ等官僧地のほか |
J20_0599A05: | に。非正色の衣を着し。寺格に關せざる捨世地。律 |
J20_0599A06: | 院なるものあり。今此の區分に從ひ。本期に於ける |
J20_0599A07: | 寺院の概略を述ぶべし。 |
J20_0599A08: | 一 本山 |
J20_0599A09: | 本山には總本山と單に本山との二種あり。總本山 |
J20_0599A10: | は知恩院にして。本山は知恩寺。金戒光明寺。淨華院 |
J20_0599A11: | の三箇寺なり。或は知恩院の總本山たるに對して。 |
J20_0599A12: | 三山或は三箇山と稱することあり。 |
J20_0599A13: | 知恩院は宗祖入滅の地にして一時遺骸を葬られし |
J20_0599A14: | 所なれば。之を一宗の總本山とするは強ち理由なき |
J20_0599A15: | ことにあらずと雖も。嘉祿三年遺骸の他に移され。安 |
J20_0599A16: | 貞二年之が荼毘せられ分骨せらるるに及びては。廟 |
J20_0599A17: | 所は諸所に搆へられ。本所に關して多少歸趨に迷は |
J20_0599B18: | せしむる傾なきに非ず。加之祖跡を相續したる勢觀 |
J20_0599B19: | 房源智は。大谷禪房並に加茂河原屋の兩所に住した |
J20_0599B20: | るが故に。兩所によりて起れる知恩院と知恩寺と |
J20_0599B21: | は。往往住職を同くしたるも。兩者本末の爭は漸次 |
J20_0599B22: | 激烈となれり。即大譽慶竺は兩者兼管したる一人な |
J20_0599B23: | るが。而も知恩院よりも知恩寺に勢力を傾けしため |
J20_0599B24: | か。嘉吉三年正月十一日。知恩寺を以て淨土宗第一 |
J20_0599B25: | となすの敕旨を賜ひ。香衣を大譽に賜ひ。且宗侶の |
J20_0599B26: | 香衣綸旨の執奏も同寺よりするの例を開きたりと云 |
J20_0599B27: | ふ。大譽の後。善譽。法譽等相繼ぎて朝廷の歸信厚 |
J20_0599B28: | かりしかば。一時は知恩寺は知恩院を凌駕し。却て |
J20_0599B29: | 總本山たるの形勢を呈せしが。知恩院に於ても前述 |
J20_0599B30: | の如く。周譽・勢譽・肇譽・超譽等相繼ぎて關東三 |
J20_0599B31: | 河より晋山し。孜孜興隆に黽めたるを以て。容易に |
J20_0599B32: | 彼が下風に立つを肯んぜず。爲に朝廷將軍家の葬儀 |
J20_0599B33: | 法會等の際には。諷經の席次の上下。納經の前後を |
J20_0599B34: | 諍ひて相降らず。朝廷將軍家を勞したること一再に留 |