浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0568A01: | 寺に住せしが。親戚大道寺駿河守。武藏國川越に蓮 |
J20_0568A02: | 馨寺を營建し請して開山第一世となす。之れ實に天 |
J20_0568A03: | 文十八年にして二十八歳の時のことなりと云ふ。數 |
J20_0568A04: | 年ならずして一方の叢林と成り。學徒蝟集す。永祿 |
J20_0568A05: | 六年四十三歳にして璽書を道譽に禀け。增上寺第十 |
J20_0568A06: | 世の住持となる。居ること四年。其間生實の虎角と |
J20_0568A07: | 謀り。檀林淸規三十三箇條を制定して。學徒釐正の方 |
J20_0568A08: | 針となせしと云ふ。永祿九年縁山を辭し川越に隱退 |
J20_0568A09: | するに及び。其近郊に平方馬蹄寺を始めとし數寺を |
J20_0568A10: | 開創せしが。天正の初年檀主大導寺氏の請によりて。 |
J20_0568A11: | 相模國鎌倉郡岩瀨大長寺及び深谷專念寺の開祖と成 |
J20_0568A12: | る。天正三年五月十八日示寂す。壽五十三なりき。 |
J20_0568A13: | 感譽の門下にも人物少からず。而して雲譽圓也。 |
J20_0568A14: | 總譽淸巖。源譽存應。圓譽廓源。專譽大超等は其最 |
J20_0568A15: | も著名なる人人なり。圓也は感譽に次ぎて大長寺に |
J20_0568A16: | 住し。又增上寺第十一世に補せられたる人なり。淸 |
J20_0568A17: | 巖は鎌倉光明寺看譽に受法し。又感譽に嗣法したる |
J20_0568B18: | 人なり。始め感譽の後を襲ひ馬蹄寺に住し。兼ねて |
J20_0568B19: | 川越の學頭たりしが。元龜元年上野國高崎に大信寺 |
J20_0568B20: | を開き。天正十五年武藏國埼玉郡岩槻に淨國寺を剏 |
J20_0568B21: | む。是岩槻檀林の起原なり。淸巖の下又大器に乏し |
J20_0568B22: | からず。就中圓譽不殘は箕田の祖跡を今鴻巢の地に |
J20_0568B23: | 復興し鴻巢檀林の始をなし。且家康の歸崇厚くして |
J20_0568B24: | 其保護の下に南都に唯識因明を學び。又其奏薦によ |
J20_0568B25: | りて慶長十一年八月二十三日紫衣被着の綸旨を賜へ |
J20_0568B26: | り。深譽傳察は淨國寺。光明寺を經て增上寺第十六世 |
J20_0568B27: | に補せらる。就中光明寺は含牛が幹事したりし以後。 |
J20_0568B28: | 非常に廢頽したるが。彼の盡力によりて面目を一新 |
J20_0568B29: | せられたり。故に鎌倉に於ては彼を以て中興開山 |
J20_0568B30: | として尊崇す。廓源は初蓮馨寺に住し。次に光明寺 |
J20_0568B31: | に移り。再轉して本山或は錄所に住すべかりしに。 |
J20_0568B32: | 事情ありて退きて伊勢國山田靑雲院に閑居せしが。 |
J20_0568B33: | 寬永十九年二月靈巖の後を襲ひ知恩院第三十三世に |
J20_0568B34: | 補せらる。大超は江戸湯島に靈山寺をひらき叢林の |