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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0557A01: ば增上寺は元光明寺と號し。眞言宗に屬せしに。聖
J20_0557A02: 聰歸淨の後本宗に改めたりと。彼れが元眞言宗の僧
J20_0557A03: 侶なりしとの前の傳説と合せ考ふるに。或ひは新創
J20_0557A04: にあらずして替宗再興なりしやも知るべからず。然
J20_0557A05: るにここに考ふべきは。明德四年受法ののち。岩殿
J20_0557A06: の大藏に入りて群經を周覽し。倍倍智性を磨きしと
J20_0557A07: の傳説是れなり。岩殿の所在詳らかならざるも。地
J20_0557A08: 誌を檢するに武藏國比企郡に岩殿と稱するところ二
J20_0557A09: あり。一は地名にして一は山名なり。共に觀音の靈
J20_0557A10: 場にして阪東札所の十番十一番に配せられ眞言宗に
J20_0557A11: 屬す。而してその單に岩殿と稱するところは光明院
J20_0557A12: 或は光明寺と呼ぶ。故に增上寺の舊名を光明寺と稱
J20_0557A13: し眞言宗なりしとの傳説は。この岩殿光明院修學の
J20_0557A14: 訛傳にあらざるなき歟。增上寺開興ののちも。屢瓜
J20_0557A15: 連或はその他に冏師を訪問し。不審を質問したる
J20_0557A16: が。應永二十二年には小石川に師を請し。一には孝
J20_0557A17: 養に便し一には諮訣に益せんとせり。應永三十四年
J20_0557B18: の頃。京畿を歷遊し祖跡を尋ね靈場に詣てたることも
J20_0557B19: ありしが。多くは增上寺に在りて四來の雲衲を攝化
J20_0557B20: し。永享十二年七月十八日七十五歳を以て入寂す。
J20_0557B21: 當時增上寺は既に關東に於ける。本宗屈指の大叢林
J20_0557B22: となりしものの如し。
J20_0557B23: 著述には大經直談要註記廿四卷。觀經直談要註記
J20_0557B24: 若干卷。小經直談要註記八卷。註記見聞十卷。同私
J20_0557B25: 鈔一卷。法事讚記見聞二卷。觀念法門記見聞(或相
J20_0557B26: 續鈔)二卷。般舟讚記見聞一卷。選擇口傳口筆一卷。
J20_0557B27: 徹選擇本末口傳鈔二卷。敎相切紙拾遺徹二卷。決疑
J20_0557B28: 鈔不審請決一卷。大綱鈔口筆十卷。大原談義聞書鈔
J20_0557B29: 見聞一卷。一枚起請見聞一卷。曼陀羅鈔四十八卷。
J20_0557B30: 淨土名目(或三卷名目)問答不審請決一卷。五重拾遺
J20_0557B31: 鈔三卷。淨土宗要不審請決一卷。二藏頌義本末不審
J20_0557B32: 請決二卷。同綱維義一卷。糅鈔米金抄一卷。淨土論
J20_0557B33: 藏集一卷。徹髓鈔一卷。念佛萬德集一卷。淨土金明
J20_0557B34: 集一卷。三重劫量圖記一卷。往生十因見聞一卷等あ

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