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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0527A01: 京洛の〓を分くることとなりぬ。這回京都に於ける住
J20_0527A02: 處も。菴主淨意尼は沒して在らざりしも。其故居たる
J20_0527A03: 嵯峨大覺寺山内なりしが如し。又仁和寺西谷の禮阿
J20_0527A04: の菴居にも往來せられたるべし。滯京十一年間の事
J20_0527A05: 跡も後世に傳へらるる所極めて少なし。建治二年上
J20_0527A06: 京間もなく淨土宗要集を口述し(要集述作には異説
J20_0527A07: あるも今一説に從ふ)。翌建治三年閏三月(或弘安五
J20_0527A08: 年十二月)安樂集私記を造り。同年九月毘沙門堂阿彌
J20_0527A09: の問に答ふるため選擇疑問答を著せるが如きは著し
J20_0527A10: き事實なるも。其他の消息に關しては殆んど何等傳
J20_0527A11: ふる所なし。但光明寺傳には。上京を寶治二年より建
J20_0527A12: 長元年六月に至ると。建治二年より弘安九年に至る
J20_0527A13: 二回とし。前回には後嵯峨上皇の仙洞御所に參し。
J20_0527A14: 淨土三部經を講説し。一乘佛戒を授け上り。香衣上
J20_0527A15: 人號を賜はり。次回には後宇多天皇の請により宮中
J20_0527A16: に參し。淨土宗義を進講し。淨土宗本有眞實一乘佛
J20_0527A17: 戒を授け上り。紫衣法具等を賜はり。洛陽の貴賤多
J20_0527B18: く宗門に歸し戒を受け專修念佛する者甚多く。一條
J20_0527B19: 法然寺。三條十念寺。小幡山高勝寺三箇の寺院を建
J20_0527B20: 立したりと云へど。前後の文に鉾楯あれば一概に從
J20_0527B21: ふをえず。かくて京都の宣敎も十一箇年に及び。鎌
J20_0527B22: 倉に於ける敎田の漸次荒廢の虞なきに非ず。遂に弘
J20_0527B23: 安九年十月鎌倉に還り悟眞寺の舊廬に入る。翌弘安
J20_0527B24: 十年六月十六日より痢病の冐す所となり。門弟看護
J20_0527B25: 其効なく七月六日入寂す。壽八十九歳にして本宗列
J20_0527B26: 祖の中稀に見る高齡なり。
J20_0527B27: 三祖一代の著書は。鸞綽導空及源信諸祖の章疏の
J20_0527B28: 注釋を始とし。二祖の章疏の注釋領解及別章を合し
J20_0527B29: て。五十餘卷あり。之を總稱して報夢鈔と云ふ。其
J20_0527B30: 縁由は決答疑問鈔。及望西樓編纂の本傳に記する所
J20_0527B31: の如し。五十帖とは。往生論註記五卷。安樂集私記
J20_0527B32: 二卷。觀經疏傳通記十五卷。同略鈔八卷。法事讚私
J20_0527B33: 記三卷。觀念法門私記二卷。往生禮讚私記二卷。般
J20_0527B34: 舟讚私記一卷。往生要集義記八卷。選擇傳弘決疑鈔

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