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J3050 浄土宗寺院調書 〓 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0460A01: 天正七年織田信長近江國安土に於て淨土宗と日蓮宗
J20_0460A02: との宗論に係る證書を納む天正十三年十一月廿一日
J20_0460A03: 豐臣秀吉寺領百九十石同十四年十一月廿三日寺領二
J20_0460A04: 百石の證狀を付す同十七年十二月朔日門前境内の地
J20_0460A05: 子を免除す同年大に堂宇を修繕す文祿二年九月十三
J20_0460A06: 日寺領二百四十六石七斗二升の朱印を付す慶長八年
J20_0460A07: 德川家康宏壯の堂宇を建設し善美を盡し鎭護國家の
J20_0460A08: 大道塲と爲す元和二年德川秀忠三門及經藏を建立す
J20_0460A09: 寬永十年正月三門經藏勢至堂宗祖の本廟を除くの外
J20_0460A10: 悉く燒失す寬永十年十二月より同十六年七月に至り
J20_0460A11: 德川家光大伽藍を再建す現今の堂宇是なり其後五十
J20_0460A12: 年を經る毎に大修繕を爲すを例とせり德川家康寺領
J20_0460A13: を加增して七百三石余とす又門前十ケ町境外所有地
J20_0460A14: として地子を收めしむ德川政府の時は當院住職を法
J20_0460A15: 親王に凖して取扱ひ其他特殊の待遇あり明治九年以
J20_0460A16: 來傳燈付法の道場たり
J20_0460A17: ○一大本山 東京府東京市芝區公園地增上寺
J20_0460B18: 明德四年十二月聖聰の開創にして三縁山廣度院增上
J20_0460B19: 寺と稱す初め貝塚にあり慶長三年八月現地に移る德
J20_0460B20: 川家康境内廿萬坪を寄附す慶長四年九月後水尾天皇
J20_0460B21: 當寺第十二代存應へ紫衣及永代常紫衣の綸旨を賜ふ
J20_0460B22: 存應時の執政德川家康に謀り一宗の制度を定め之を
J20_0460B23: 宗内に公布せしむ爾來一宗の總錄所として宗務を執
J20_0460B24: 行し且傳燈付法の道場たり第三十二代了也及第四十
J20_0460B25: 代雲臥より代代の住職大僧正に任せらる明治二年二
J20_0460B26: 月廿三日重て勅願所の綸旨を賜ふ明治六年十二月卅
J20_0460B27: 一日本堂燒失す再建資として明治十四年五月二百圓
J20_0460B28: 同廿三年二月二千圓宮内省より下賜同十四年六月百
J20_0460B29: 五十圓内務省より下附同十六年五月一千圓東京府廳
J20_0460B30: より下附同廿四年一月一千圓東京市參事會より寄附
J20_0460B31: 明治八年一月十八日本山號公稱許可せらる當寺舊寺
J20_0460B32: 領初め千石後加增して壹萬五百四十石外に藏米三千
J20_0460B33: 七百俵門前拾五ケ町とす尚當寺は德川家の香花院た
J20_0460B34: るを以て諸堂宇の建設は勿論其他德川政府に於て特

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