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J3040 筑後善導寺誌要 善導寺編 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0454A01: 五日に至る七日間門末總出勤して元祖大師六百五十
J20_0454A02: 年遠忌を豫修す寂年未詳
J20_0454A03: 第五十四世演蓮社暢譽法阿妙智印定海上人 嘉永
J20_0454A04: 三年江戸傳通院學頭より入りて董山す時適適明治維
J20_0454A05: 新の大變革に際し寺領を奉還し明治三年現境内の外
J20_0454A06: 悉く上地を命ぜられたるを以て堂宇の修理住侶の資
J20_0454A07: 糧全く其の途を失し頓に衰微の極に達せり因て境内
J20_0454A08: の樹木を伐採して改めて田畑となし保存の法を講ず
J20_0454A09: 明治七年九月十七日寂す
J20_0454A10: 第五十五世鳳蓮社龍譽祐善上人 京都華開院より
J20_0454A11: 轉ず明治十一年三月三祖堂を重修す現存のもの即ち
J20_0454A12: 是れなり同月善導大師千百五十年遠忌を奉修す同年
J20_0454A13: 某月寂す
J20_0454A14: 第五十六世法蓮社性譽覺定上人 明治十五年知恩
J20_0454A15: 院常侍より入りて董山す同年開山國師六百五十年遠
J20_0454A16: 忌を奉修す廿一年鎭西支校を當山に設置せられ鎭西
J20_0454A17: に於ける本宗子弟敎養の所と爲す同年職を退く
J20_0454B18: 第五十七世心蓮社念譽佛定上人 明治廿五年六月
J20_0454B19: 京都鹿谷法然院より轉じ東奔西走大に寺門の挽回に
J20_0454B20: 努め宗風爲に振ふ同廿八年職を高弟專稱上人に讓り
J20_0454B21: 京都淸水阪西光寺に隱栖す
J20_0454B22: 第五十八世一蓮社心譽專稱上人 明治廿八年十月
J20_0454B23: 董山す同三十四年蒲柳の質寺務に堪へざるの故を以
J20_0454B24: て職を辭し大阪延命寺に退居す
J20_0454B25: 第五十九世德蓮社累譽眞隨上人 明治三十四年五月
J20_0454B26: 武藏國平方林西寺より轉ず師深く寺門の衰頽を憂ひ
J20_0454B27: 三十八年善導寺興隆會を起し南鈴北錫經營甚だ力む
J20_0454B28: 今四十五年三月元祖大師七百年御忌を奉修せんとし
J20_0454B29: 堂宇を營修し寺規を更新す鎭西の法旆是れより大に
J20_0454B30: 振ふものあらん
J20_0454B31: 皇室並に武門の歸依
J20_0454B32: 當山草創より凡そ二十六年を經て順德天皇建保五年
J20_0454B33: 三月善導大師の靈像應驗著しき趣天聽に達し善導寺
J20_0454B34: の勅額を賜ひし由鎭西略要傳に見ゆ次で第六世法阿

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