ウィンドウを閉じる

J3030 黒谷光明寺誌要 黒谷編 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0429A01: 物かはりて堂舍荒凉す且又應仁の兵亂にこと
J20_0429A02: ことく堂宇をこほち永正の盛時にやや柱石をた
J20_0429A03: つ然も經營いまだをはらさりし故に大永のとし
J20_0429A04: 沙門聖見隆興のこころざしをたて化縁の手をの
J20_0429A05: へてあまねく十方につのり一塵嶽をたかふし一
J20_0429A06: 滴海をふかふするわざをなせり爾の後亦歳月を
J20_0429A07: 積みて堂宇磨滅しぬわつかに大悲堂のみ殘れり
J20_0429A08: と雖もむな木朽いりくたけて上漏り下濕ふ兩慈
J20_0429A09: 眼にそそげば聖者も亦かなしみの涙をたれたま
J20_0429A10: ふに似たり靈像頭を侵せは菩薩たちまちに老の
J20_0429A11: すがたに變せるかとあやしまる正保三年の頃
J20_0429A12: 今上いまだ親王にておはしませし時御立願の事
J20_0429A13: ありて佛德をあふき給はんか爲めに當堂御再興
J20_0429A14: あり是佛力のかんする所御信心の應する所也豈
J20_0429A15: 天下國家の幸にあらすや伏以 帝道彌さかんに
J20_0429A16: 佛日常にかかやき萬民業をたのしみ四海長久な
J20_0429A17: らんこと疑あるへからさる者なり古記をかんが
J20_0429B18: へ同書を拾ふて記する所大概かくの如し
J20_0429B19: 右一卷寬文元年冬依當住由仙所望書寫之訖
J20_0429B20: 内 大 臣(久我内大臣源廣通公)
J20_0429B21: 一德川家綱公領知朱印狀 (寬文五年七月)
J20_0429B22: 當山領山城國愛宕郡岡崎村之内百五石淨土寺村
J20_0429B23: 之内二拾五石事門前境内山林竹木諸役免除任
J20_0429B24: 慶長十八年九月三日元和三年七月廿一日寬永十
J20_0429B25: 三年十一月九日先判旨進上永不可有相違者也仍
J20_0429B26: 而如件
J20_0429B27: 寬文五年七月十一日(御朱印)
J20_0429B28: 金戒光明寺
J20_0429B29: 一當山役者預狀 (寬文九年十一月)
J20_0429B30:
J20_0429B31: 一觀音假屋四間五間立具共ニ
J20_0429B32: 一材木三十八本内三十一本平七本
J20_0429B33: 一古材木古竹少古瓧居石三十五
J20_0429B34: 右者岡崎村吉田寺觀音佛像等諸道具黑谷え御

ウィンドウを閉じる