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J3020 清浄華院誌要 清浄華院編 画像

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巻_頁段行 本文
J20_0356A01: 叡慮を奉じて公狀附錄にありを發し淨華院は勅願所たる
J20_0356A02: に依りて寄宿以下諸役免除を令す同十三年十一月廿
J20_0356A03: 一日太閤御朱印を賜ひて山城國田中村内五拾石を寺
J20_0356A04: 領に充つ此年寺基を今の地に移さる晩年泉州大島郡
J20_0356A05: 中筋村心蓮寺に閑居し天正十六年四月二日寂す當代に於
J20_0356A06: て河内國澁川郡衣褶之里法善上人へ香衣綸旨を計らひ役者壽德院遠路持參す大田和泉守狀を具し爲に謝す
J20_0356A07: ○三十二世道殘上人
J20_0356A08: 然蓮社良智源立と號す初め大澤圓通寺に學ひ後ち亮
J20_0356A09: 叡に學ふ上人在職の日公家武家共に歸依厚かりき後
J20_0356A10: ち新黑谷に住居す門葉綸旨を請ふ者あれば新黑谷に
J20_0356A11: 在りて之を糺明したる後ち當院に移して傳奏を計ら
J20_0356A12: しむ是を以て當院の門葉黑谷に附屬するの看あり當
J20_0356A13: 院の塔頭之を含み以て民部卿玄以法印に訴ふ法印太
J20_0356A14: 閤の旨を承け天正十七年三月二日及ひ八日の兩度相國寺に於て
J20_0356A15: 之を裁斷し新黑谷を以て當院の末寺と定め先例を追
J20_0356A16: ひ當院の指揮を仰がしむ此後黑谷門徒常樂寺及ひ一條淨福寺住持等皆此判決に准じて綸旨を申請
J20_0356A17: す同十七年九月上人金戒光明寺住持として香衣參内
J20_0356B18: 御綸旨料米拾石を淨華院に渡さる按するに民部法印の裁定後上人直に新黑谷住
J20_0356B19: 持となりて當院別に貫首を奉戴せしならん是より先き天正十六年三月二日上
J20_0356B20: 人淨華院寶物目錄並に聖敎目錄を認められたり是れ
J20_0356B21: やがて當院と黑谷と紛擾を釀すの因由となりしなり
J20_0356B22: 後ち文祿二年に及びて再ひ新黑谷獨立して無本山と
J20_0356B23: ならんと謀る太閤之を許さず上人大に面目を失ひ新
J20_0356B24: 黑谷を退きて越州西福寺に隱捿す文祿二年九月廿三
J20_0356B25: 日寂す松林院日次記に云當山中古衰微せることは三十二代道殘和尚の時にはしまると其徒殘牛上人
J20_0356B26: は越州正覺寺の一代なり
J20_0356B27: ○三十三世休岸上人
J20_0356B28: 三蓮社縁譽總系譜及淨源脈譜云潮譽と號す歷遊大法を弘通して石
J20_0356B29: 州邇摩郡銀山に西向寺を開き之に住せしが道殘上人
J20_0356B30: の讓を受けて當院に晋董し文祿四年四月新黑谷に移
J20_0356B31: り慶長三年十一月二十九日寂す
J20_0356B32: ○三十四世良安上人
J20_0356B33: 謙蓮社恭譽淨源脈譜及總系譜云信譽と號す初め石州銀山の極樂寺
J20_0356B34: に住せしが文祿四年四月休岸上人の讓を受けて當院

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