浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0354A01: | 齊玄と號す玄周上人の法嗣なり傳歷詳ならず當時松 |
J20_0354A02: | 林院の住僧を舜玉西堂と云ふ明應の頃親長卿賢房卿 |
J20_0354A03: | 言國朝臣等相議して光智院尼公萬里小路冬房卿の女贈相國義凞公の室の宮 |
J20_0354A04: | 室を川崎に移して堂舍に充て河東蓮華寺の墳墓を當 |
J20_0354A05: | 院に移して檀越場となし以て松林院を護持す |
J20_0354A06: | ○十六世等珍上人 |
J20_0354A07: | 僧海と號す玄周上人に嗣法し等胖上人の讓を受けて |
J20_0354A08: | 當院に晋董し後ち新黑谷に退隱す傳歷詳ならず |
J20_0354A09: | ○十七世良玉上人 |
J20_0354A10: | 僧禿と號す僧海上人の讓を受けて當院に晋董後ち黑 |
J20_0354A11: | 谷に退隱す當院傳へて二十九日寂すと云ふ |
J20_0354A12: | ○十八世等皟上人 |
J20_0354A13: | 皎月と號す傳歷詳ならず年月未詳二十四日寂す |
J20_0354A14: | ○十九世良眞上人 |
J20_0354A15: | 如月と號す良玉上人に嗣法し初め越州正覺寺を董し |
J20_0354A16: | 後ち當院に晋董す年月未詳二十八日寂す |
J20_0354A17: | ○二十世玄照上人 |
J20_0354B18: | 暉玉と號す年月未詳十八日寂す |
J20_0354B19: | ○二十一世玄珍上人 瑞鳳と號す傳歷詳ならず |
J20_0354B20: | ○二十二世秀馨上人 |
J20_0354B21: | 英蓮社善譽と號す僧禿上人に嗣法す當時洛中戰亂止 |
J20_0354B22: | む時なく數數土揆に侵さる是に依りて上人永正六七 |
J20_0354B23: | 年の頃新黑谷を再建して之に住す同八年二月十二日 |
J20_0354B24: | 寂す右大辨春房入道永正十三年三月の記に云く當院 |
J20_0354B25: | 淨華松林國師の時代には供米七百石餘其上室町殿將軍義敎大内 |
J20_0354B26: | 介朝倉家各供米施納千俵之れあり院領は伏見宇治攝 |
J20_0354B27: | 津武庫郡江州栗太郡等なり如是也と雖も武家の爲め |
J20_0354B28: | に押領せられ百姓一揆してかすめ取り今は東山殿よ |
J20_0354B29: | り光智院殿冥福の爲め地子錢五十貫文御寄附ありと |
J20_0354B30: | 雖も亂世故に五七年不納漸漸衰微すと正覺寺記に云く當寺松林院第十七代 |
J20_0354B31: | の住持舜譽僧觀西堂と申す萬里小路第十代内大臣惟房卿の御子なり 後柏原帝より西堂の勅號を賜はり夫れより一家西堂僧官の總司と |
J20_0354B32: | す故に代代の住僧綸旨頂戴の僧なりと |
J20_0354B33: | ○二十三世良周上人 |
J20_0354B34: | 天蓮社滿譽と號す傳歷詳ならず年月未詳六日寂す |