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J3020 清浄華院誌要 清浄華院編 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0351A01: ○九世定玄大僧正
J20_0351A02: 僧然と號す萬里小路大納言仲房卿の子なり十二歳に
J20_0351A03: して千本五辻徹堂通玄比丘敬法上人の法弟に從て薙髮す通玄
J20_0351A04: 比丘寂するに及び定玄上人十四の時敬法上人に師事し夜を以て
J20_0351A05: 日に繼き顯密二敎を習學す止觀を叡山妙觀院僧正に
J20_0351A06: 沙彌戒を如道律師に圓戒を敬法上人に禀承す又南都
J20_0351A07: 戒壇院に於て滿分の戒を受け大比丘となる本宗に具
J20_0351A08: 足戒を受持すること上人を始めとす應永五年二月敬
J20_0351A09: 法上人の讓を受けて淨華院に住し並に松林院を兼管
J20_0351A10: す應永十八年十月 後龜山上皇の勅に應して圓戒並
J20_0351A11: に阿彌陀經を奏説す應永二十八年二月八日跡を等凞
J20_0351A12: 上人に讓りて江州坂本法藏院に隱退す内府時房卿西
J20_0351A13: ケ岡に安樂院を建てて住せしむ永享二年隆堯良俊等
J20_0351A14: の請に依りて江州に至る阿閉淡路守山本城主栗本郡灰墳
J20_0351A15: の南に安養院を立つ上人之に住すること七年同九年
J20_0351A16: 八月二十四日江州坂本法藏院に寂す壽七十九五七日
J20_0351A17: の諱辰に方り徽號を賜ひ僧官を贈りて良尊大僧正と
J20_0351B18: 號せしめらる黑谷記には應永十五年二月廿四日寂に作る或る記に云く當代より戒灌頂法流相傳すと
J20_0351B19: ○十世佛立慧照國師
J20_0351B20: 等凞字は僧任と號す俗姓を詳にせず一説に萬里小路從一位内大臣嗣房卿の息
J20_0351B21: なりと應永三年十一月生る十一歳にして敬法上人を師
J20_0351B22: として剃染し孜孜して學解を修む敬法上人歎して曰
J20_0351B23: く一宗の光華を耀し緇林の覺蘂を提る者は恐くは此
J20_0351B24: 少沙彌ならんと二十三歳にして叡岳に登り兩部瑜伽
J20_0351B25: の大法大悲生眼の印明を受け又南都に到りては法相
J20_0351B26: 三論を普明國師に從うては敎外の法を學ひ三寶院賢
J20_0351B27: 長僧正に事へては具支灌頂の法重重の印明許可等を
J20_0351B28: 傳受す應永三十年定玄下應永廿八年と記す二十八歳にして松林院
J20_0351B29: に住し淸淨華院を兼管す應永三十二年七月主上 稱
J20_0351B30: 光天皇御惱の事あり稱光天皇毎日亥の上刻より寅の刻まで正氣を失ひ夢中無心になり給ひしと
J20_0351B31: 寺の名僧諸社の神巫をして一字金輪の法大威德大元
J20_0351B32: 帥法等を修せしめられしかど更に其効驗を奏せざり
J20_0351B33: き同二十九日申の刻萬里小路大納言時房卿に命して
J20_0351B34: 淨華院の等凞上人を召さしめらる上人隆堯良俊良秀

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