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J3020 清浄華院誌要 清浄華院編 画像

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巻_頁段行 本文
J20_0344A01: 淸淨華院誌要
J20_0344A02:
J20_0344A03: 目次
J20_0344A04: 第一沿革 第二歷代 第三古文書 第四什寶
J20_0344A05: ○第一 沿革
J20_0344A06: 淸淨華院は淸和天皇の叡願に依り貞觀年中御所御構
J20_0344A07: 内に創建し給ひ禁裏御内道塲として淸淨華院と勅稱
J20_0344A08: せられ通常寺院と異にして山號寺名を附給はす慈覺
J20_0344A09: 大師を住持職第一世に任せられ東大寺興福寺延曆寺
J20_0344A10: 園城寺より多數の僧侶を召集し交番に長日の淨業を
J20_0344A11: 輪修せしめ 天皇后宮兩陛下の寶祚長久玉體安全御
J20_0344A12: 願圓滿及天下泰平の御祈願を精勤し葬儀吊祭等を禁
J20_0344A13: せられ專ら淸淨の作業を以て常行とせし故に又淸淨
J20_0344A14: 殿と稱す天台眞言戒律佛心四宗兼學の道塲なり當院
J20_0344A15: 堂宇は朝廷の御建築なりしに九十餘年の後天曆五年
J20_0344A16: 春火災に罹り全燒す 村上天皇御再建あり三門二王
J20_0344A17: 門多寶塔及殿舍等は先規の如く營造せられ一切經藏
J20_0344B18: は特別の叡旨を以て新規に御建立あらせらる二十二
J20_0344B19: 年の後貞元元年八月十五日大地震あり諸堂悉く破損
J20_0344B20: す 圓融天皇先例に凖して御再興あり其後百九十餘
J20_0344B21: 年の沿革詳ならす 後白川法皇宗祖圓光大師法然上
J20_0344B22: 人に深く御歸依あらせられ上人を法住寺殿に召請し
J20_0344B23: 往生要集並に淨土安心の説法を聽聞あそばされ 高
J20_0344B24: 倉天皇は上人圓戒正統傳承の譽れを聞し召され承安
J20_0344B25: 五年春上人を戒師として御受戒あり遂に叡感の餘り
J20_0344B26: 當院を上人に勅授せられ從來三百年の間四宗兼學の
J20_0344B27: 道塲を淨土宗に改め又勅して彌陀の十二光佛を表し
J20_0344B28: て山内に十二光院を增建し給へり是れ實に淨土宗最
J20_0344B29: 初の寺なりとす改宗以後二百三十餘年を經て 稱光
J20_0344B30: 天皇の御宇足利義敎將軍に勅して佛閣殿舍及寺家諸
J20_0344B31: 院を悉く改築せしめ輪奐善美を盡し京都第一の壯觀
J20_0344B32: なりしと云ふ圓光大師より第十世等凞上人は 後圓
J20_0344B33: 融天皇 後小松天皇 稱光天皇の戒師を勤めしによ
J20_0344B34: り正長二年六月六日香衣の勅許あり同十一日參内の

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