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J3000 江戸崎大念寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0306A01: さるべからず是れ上人の爲人を推知すべき一要素
J20_0306A02: なれば也』上人の祖父は明和四年幕府の忌諱に觸
J20_0306A03: れ死罪に行はれたる柳莊山縣大貳先生也大貳は甲
J20_0306A04: 斐の人その先は名將山縣三郞兵衞也大貳英邁の資
J20_0306A05: 豁達の才あり多識多能よく古今の史實に通し最も
J20_0306A06: 軍學に明也その江戸に出てて帷を下すやその門に
J20_0306A07: 至り贄を執るもの恒に數百人門下の盛なる當時肩
J20_0306A08: を比ぶる者なく諸侯或は賓師の禮を以て待つ者あ
J20_0306A09: り而して常に大義名分の紊亂を嘆し時世の非なる
J20_0306A10: を憂ひ之を論議すること頗る凱切なるものあり其兵
J20_0306A11: 法を論し勝敗を評するに江戸を攻擊するに南風に
J20_0306A12: 乘して品海より火翦を放つ等の語あるによりて幕
J20_0306A13: 吏のきく所となり大憲を犯し不敬の至りなりと申
J20_0306A14: 渡され斷頭塲裏の露と消えたり大貳の長子を次郞
J20_0306A15: 兵衞好春といふ幕府を憚りて母の姓齋藤氏を冒し
J20_0306A16: 父の門人たりし諸侯の留守居役の周旋によりて品
J20_0306A17: 川に引手茶屋の株を購ひて營業するに至れり蓋し
J20_0306B18: 此の如き賤業に躱るることは幕府の嫌疑を避くる恰
J20_0306B19: 好なる策なりしなるへし大貳に三子あり長は次郞
J20_0306B20: 兵衞好春次は長順今村氏を冒し醫を業とせり三は
J20_0306B21: 亮また今村氏を冒し醫を業とせり柳子新論を校訂
J20_0306B22: 出版せる山縣昌藏は今村亮の孫にして大貳の玄孫
J20_0306B23: 也 天皇陛下の山梨縣に巡行あらせらるるや大貳
J20_0306B24: の尊王の志を齎して非命に死せるを恤み祭祀金を
J20_0306B25: 賜はるに際し大貳の遺族たるを以て山縣姓に復す
J20_0306B26: るの許可を得たり』上人は次郞兵衞好春の長男と
J20_0306B27: して天明二年引手茶屋の内所に於て呱呱の聲を擧
J20_0306B28: げたり』 『山縣家の系譜に記して云長男九歳のと
J20_0306B29: き出家して攝門と稱す增上寺學寮に入り後還俗し
J20_0306B30: て幕府の城坊主となり竹尾善筑と稱す名は次春字
J20_0306B31: は子龍善筑はその號也』と然に昌藏君より予に送
J20_0306B32: られし小傳には次春幼より學を好み十三歳にして
J20_0306B33: 身を桑門に投すと記し同一の家錄に出家の年次相
J20_0306B34: 違せり案するに三縁山志の屋代弘賢の序に云く寬

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