浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0288A01: | 檀林江戸崎大念寺志 |
J20_0288A02: | |
J20_0288A03: | 目 次 |
J20_0288A04: | 寺縁本由 大小伽藍 什寶靈器 朱賜領件 |
J20_0288A05: | 累世師名 輪下正衆 末宇有縁 |
J20_0288A06: | 御朱印五拾石 常陸國河内郡江戸崎正定山知光院大念寺 |
J20_0288A07: | 寺縁本由 |
J20_0288A08: | 天正十八年開山慶岩上人創建之抑岩公は肥前國鹽田 |
J20_0288A09: | 城主惟任修理亮藤原知光の三男なり織田右大臣信長公西國にて當家の絶名を |
J20_0288A10: | 歎息せられ明智光秀をして惟任日向守と名乘せ給へるは當家西國にての代代の名家にして然も武勇の譽れ隱れなかりしをしたはせ西國 |
J20_0288A11: | を手に入らせ給はん爲となり 惟任は其先祖結城の胤系にして上野入 |
J20_0288A12: | 道か子征西將軍に隨ひ菊地を賴み西國に下りて菊地 |
J20_0288A13: | が持城の一つを預りしよりつひに其子孫彼の幕下に |
J20_0288A14: | 屬し家門榮え一族ひろこりて地名により名字を改め |
J20_0288A15: | ける又宇都宮の系圖とも寺記にあり |
J20_0288A16: | 菊地の本家大友の爲めに亡廢せしかば菊地の殘黨 |
J20_0288A17: | 大友家に降りける時のちなり其後大友より菊地の |
J20_0288B18: | 苗字を名乘せければ菊地の名猶西國に殘れり |
J20_0288B19: | かくて其が末永祿四酉年三月菊地左兵衞尉大友幕下武邑 |
J20_0288B20: | 軍兵を起し知光を攻此頃時うつりて互に虎狼の心を起し家ことに戰ひければ惟任は薩摩國の島津氏に |
J20_0288B21: | 屬しける故大友氏の軍士攻めけるなり折節籠城の兵士の中に裏切の事あり |
J20_0288B22: | て城に火をかけければ譜代恩顧の一族郞等四十七人 |
J20_0288B23: | 家婦老少三十九人不殘討死城は奪はれ郞等は皆落失 |
J20_0288B24: | せける時三男仙千代丸八才なりしをめのとの兄蒲原 |
J20_0288B25: | 兵庫ひそかに隱し遁れ出て同國佐賀の正定寺に忍置 |
J20_0288B26: | 再び歸城の謀慮をめくらしおりおり家士の隱家をも |
J20_0288B27: | とめ密談有て既に仙千代丸十三才の時同九寅年旗上 |
J20_0288B28: | けなして舊城を攻べき事を島津家にも折折通しけ |
J20_0288B29: | る時龍造寺肥前守隆信數萬の軍兵を率ひ同年春彼菊 |
J20_0288B30: | 地のものともを攻落しけれは仙千代丸今は世に敵も |
J20_0288B31: | なく賴むかひなけれはとて既に自害とありしを寺主 |
J20_0288B32: | 證譽押留め娑婆の定めなき事生者必滅のことはりを |
J20_0288B33: | のへ先祖父母の菩提の因を植へき事ねんころに勸諭 |
J20_0288B34: | ありしかばつひに剃度し證譽の弟子となり家の重代 |