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J2990 本所霊山寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0276A01: れ當時の博達檀林再興の職に堪へき淨器の碩德なる
J20_0276A02: をしろしめしけれはなり始め駿河臺にて二萬坪の時
J20_0276A03: は今の紅梅坂に大門を搆へ境内より眺望四方を見極
J20_0276A04: め境内に八景十境ありて無双の靈地なりしとそ其の
J20_0276A05: ち湯島にうつりし時は今の妻戀坂を大門とす故に此
J20_0276A06: 坂本名は大超坂なり其ころは隣寺に蓮光寺あり今の
J20_0276A07: 妻戀社は蓮光寺の鎭守なり蓮光寺駒込に移りし時願
J20_0276A08: によりて跡に殘りしなり當山此地へ轉せし比も猶民
J20_0276A09: 部卿局世にいまそかりし故駿臺にもおとらすして一
J20_0276A10: 萬六千五百坪にて眺望同しき事ひとへに局より御内
J20_0276A11: 願により似寄りし境内を賜れりとそ其のち淺草に轉
J20_0276A12: せし時は檀林にもなく檀家も减少によりて地境を减
J20_0276A13: せられしなり武藏志料云靈山寺は關東十八檀林の一
J20_0276A14: 寺にして鎭西派の大刹なり開山は大超上人なりもと
J20_0276A15: は湯島にありけるが明曆三年酉正月十八日の大火に
J20_0276A16: 燒しのち淺草に移されたり又其のち今の本所にうつ
J20_0276A17: さる中比絶て平寺に成たりしを貞享三年酉立かへり
J20_0276B18: て檀林に仰付ける下略
J20_0276B19: 瀨名貞雄曰貞享三年三月廿日の御日記に淨土宗十八
J20_0276B20: 檀林一ケ寺闕有之ニ付御改之上今日淺草靈山寺檀林
J20_0276B21: に被仰付とあり其時の住職は光蓮社明譽遊安廓瑩和
J20_0276B22: 尚なり依て是を中興の開祖となさる下略
J20_0276B23: 改造堂舍
J20_0276B24: 本堂八間七間 本尊釋迦彌陀共長一丈余 の立像慈覺大師作も
J20_0276B25: と比叡山にましましけるを照滿院宮御持佛に傳は
J20_0276B26: らせ夫より御寄附とそ
J20_0276B27: 始駿臺にての時は本堂十三間四方と云又淺草湯島
J20_0276B28: の時は十二間四方とあり其のち度度燒亡し又は引
J20_0276B29: 移の度ことに檀家减少におよひけれは追日衰運に
J20_0276B30: 及へり
J20_0276B31: 庫裏 書院 玄關其外とも是又了學公の建立の時は
J20_0276B32: 殊に大厦高庇なりしかと檀家も江戸の燒失の度こ
J20_0276B33: とに燒亡し紛滅せしかは今はむかしの三ツが一な
J20_0276B34: りと云

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