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J2990 本所霊山寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0274A01: 檀林本所靈山寺志
J20_0274A02:
J20_0274A03: 目 次
J20_0274A04: 大潮開本 山門隆夷 改造堂舍 眞俗記章
J20_0274A05: 瑞祥像畵 照滿芳由 親王法廟 世代主名
J20_0274A06: 坊舍起縁 境中八勝 有銘三碑 所葬列名
J20_0274A07: 末寺數宇
J20_0274A08: 大潮開本
J20_0274A09: 開山念蓮社專譽大潮上人又作超近江國人にて志學のの
J20_0274A10: ち山城國八幡志水の正法寺に寺領五百石住職の時東照宮
J20_0274A11: 伏見城に御座の御時はよりよりめさせられ常に佛法
J20_0274A12: の御雜談などをも問はせ給へりされば靈巖上人を南
J20_0274A13: 都より召出されし時も御使を奉はりけり其後江戸に
J20_0274A14: 下向し慶長六年辛丑三月駿河臺にて一宇起立のむね
J20_0274A15: 仰出され境内二萬坪を賜へり翌年より十八檀林御造
J20_0274A16: 營の御沙汰初りし時學寮創立のため白銀七十貫目を
J20_0274A17: 賜り土木の資用となし給ひ其員一に定められければ
J20_0274B18: 同十一年大御臺所より寺領五十石を御寄附
J20_0274B19: 此大御臺所とは崇源院殿の御事なり後御朱印に成
J20_0274B20: し下さる
J20_0274B21: 此時本田氏女民部卿の局とりわき師檀の約深かりけ
J20_0274B22: れば大奧の女中をも勸諭せられ叢林の助勢あられ學
J20_0274B23: 寮も三十餘宇を造り子院八宇に及ふといふ是より先
J20_0274B24: 大超上人山城國伏見土橋に新正法寺を草立し八幡を
J20_0274B25: 移されし心にて寺號を同せられ後新の字を除下總國船橋に
J20_0274B26: 至り淨勝寺を中興し江戸にうつりても初淺草壽松院
J20_0274B27: に二世の住持とす元より觀智國師と蓮馨寺にての同
J20_0274B28: 學にて法交深かりければ修德及はすといへとも道俗
J20_0274B29: の信伏聖淨の論學は互に讓與の程なりしとそされば
J20_0274B30: 國師登營の度ことに同伴し御前の法問には必列衆の
J20_0274B31: 一員なれば大奧女中方にも檀家多く八幡在住も國師
J20_0274B32: の吹擧なれば五百石の御朱印も彼寺へ賜へり凡そ行
J20_0274B33: 狀の年譜兩三の書に出るといへとも審詳に及はす一
J20_0274B34: 期の德光再ひ傳ふる事希なりといへとも所開の數寺

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