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J2980 深川霊巌寺志 摂門 画像

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巻_頁段行 本文
J20_0266A01: 延寶八年八月大風草堂倒仆九品像軀頽毀剝壞師命工
J20_0266A02: 修補且造小佛若干列于九品佛像圓光之中元祿七年六
J20_0266A03: 月廿三日師寢疾至秋日革九月十六日自鳴磬誦光明遍
J20_0266A04: 照之文剏念佛會以爲順寂之期廿三日門人珂憶從河州
J20_0266A05: 來師謂之曰九品佛像本誓已就堂寓莊嚴有志不遂汝宜
J20_0266A06: 修立矣身後之事皆付屬汝憶掩涙唯唯廿九日聚徒説法
J20_0266A07: 自十月五日唯時啜水唱佛號耳七日夜半對佛合掌唱彌
J20_0266A08: 陀號而寂實元祿七年十月七日享年七十七僧夏五十九
J20_0266A09: 八日闍維九日諸徒收取靈骨五色舍利百余粒纍然在矣
J20_0266A10: 乃窆餘骨于九品山之西北云師平日造佛九品丈六彌陀
J20_0266A11: 佛像九軀毎一軀圓光之中小佛一千十一軀九品九軀小
J20_0266A12: 佛大凡一萬百十軀丈六釋迦佛像一軀圓光小佛一千一
J20_0266A13: 十軀惠心僧都堅田千軀摹像一千十軀備中千軀摹像一
J20_0266A14: 千十軀石懸千軀摹像一千十軀藥師觀音勢至地藏像各
J20_0266A15: 一千十軀以至其餘佛菩薩像大凡三萬二千軀師在奧澤
J20_0266A16: 者蓋十七年自師滅年已降〓今盖五年珂然沙彌謹記行
J20_0266A17: 業且繫以頌頌文略之
J20_0266B18: ○攝津國玉手安福寺圓信諱は珂憶字勝譽自ら圓信と
J20_0266B19: 號若狹國人新田裔里見義勝子なり母は半氏法名壽法寬永
J20_0266B20: 十二年乙亥十二月朔日生七才江戸靈巖寺珂山和尚に
J20_0266B21: 隨ひ薙髮其寺に籍名す或時師に陪し酒井公の某第に
J20_0266B22: 趣く師は公と對話時を移す其徒者屏處に碁を圍む師
J20_0266B23: 其傍に有り俄に手棊諍を起し刃を拔樣交師兩刄の間
J20_0266B24: に踊入屏風を以其一人を擁阻て慇懃に是をいさむ兩
J20_0266B25: 心忽ち平其諫諭に遵公并兩士の父母深く感賞し内藤
J20_0266B26: 帶刀室素より淸信あり一日靈巖上人に謁らるるの次
J20_0266B27: 一人を凖子とし出家せしめ植福の質とせんとせらる
J20_0266B28: るの時諸子を路寢に陣列せしめ使を延是を相せしめ
J20_0266B29: 其鑒拔に任せらるるの時師其列にあらず一房に入て
J20_0266B30: 深く鎻告るに師の嚴命を以する時出其故を詰れば師
J20_0266B31: 云凡棄るにしのばざるの父母なり然るにわれ是をす
J20_0266B32: てて質を和尚に委す何意にか又親を外に求めんや况
J20_0266B33: や斑列にあつてもし選にあたらずんば何の顏かあら
J20_0266B34: む我此故に出ずと滿座皆駭歎す使者心戰曰我何ぞ擇

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