浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0245A01: | より二日三夜或は七日或は四十八夜の別時念佛を賴 |
J20_0245A02: | み來り毎日の參詣市の如し師の道德都鄙に普ねかり |
J20_0245A03: | けれは寬永四年六月西御丸にて大御所台德院殿師の |
J20_0245A04: | 法問聽受させらるべきむね仰出され一宗の長老とと |
J20_0245A05: | もに一心佛性の法問を論議あり其のち毎日の群集に |
J20_0245A06: | 地狹なりければ官に乞地つつきの茅原を添地に願は |
J20_0245A07: | れけるに寬永五年の春隣地三丁四方餘を新に加へ賜 |
J20_0245A08: | はりければすべて六丁四方の大境内となれり然れと |
J20_0245A09: | も皆芦原にて潮さし引船往來の處なり師やがて是を |
J20_0245A10: | 築立秋十八間に十五間の本堂並に庫裏方丈惣門中門 |
J20_0245A11: | 鐘樓雜部屋庫物置子院學寮まで悉く備はりければ宗 |
J20_0245A12: | 門一方の大刹となりける此時總房にて化度の所化並 |
J20_0245A13: | に諸國に遊學せる好身の大衆ことことく集りければ |
J20_0245A14: | やがて善昌寺の檀林を當山にうつし道譽一流の傳法 |
J20_0245A15: | 弘通の靈塲とす時に寬永五年なり |
J20_0245A16: | 寬永記云元年甲子靈巖雄譽上人法力を以江戸八丁 |
J20_0245A17: | 堀海上を諸檀那土石を運ひ集て陸地に築くここに |
J20_0245B18: | 於て一宇を建立し靈巖寺と號す |
J20_0245B19: | 本尊迎置 |
J20_0245B20: | 師未だ雲水の身にて行脚せられし時上總國佐貫城下 |
J20_0245B21: | に安國寺といへる古破の寺あり |
J20_0245B22: | 安國寺は曆應二年足利尊氏卿東國鎭護のためにと |
J20_0245B23: | て七堂伽藍を造營ありしより寺領もあまた寄附せ |
J20_0245B24: | られしかど其のち里見北條の戰にいつとなく寺門 |
J20_0245B25: | 荒廢す元和三年師の門弟住務ありしより淨土宗に |
J20_0245B26: | 改それより先は天台とも云又は眞言とも云 |
J20_0245B27: | 立よりて本尊を拜瞻せられしに座像の彌陀尊なれと |
J20_0245B28: | 臺座後光共に落損し光彩見るべくもあらざれど相好 |
J20_0245B29: | 圓滿殊勝なりければ師頻に繫念す我若修學功積りて |
J20_0245B30: | 當所にて一寺に住職せは必ず迎へ奉りて某寺の本尊 |
J20_0245B31: | と仰ぎ奉らむと無二に祈誓し名殘惜く別れられしに |
J20_0245B32: | 三十年過て當所善昌寺へ内藤家の請にて住務せられ |
J20_0245B33: | しかばかの旨を述られ本尊を乞れ許をうけ寺へ迎へ |
J20_0245B34: | 再興し中尊佛となし禮拜安置ありその後又當山開創 |