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J2980 深川霊巌寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0245A01: より二日三夜或は七日或は四十八夜の別時念佛を賴
J20_0245A02: み來り毎日の參詣市の如し師の道德都鄙に普ねかり
J20_0245A03: けれは寬永四年六月西御丸にて大御所台德院殿師の
J20_0245A04: 法問聽受させらるべきむね仰出され一宗の長老とと
J20_0245A05: もに一心佛性の法問を論議あり其のち毎日の群集に
J20_0245A06: 地狹なりければ官に乞地つつきの茅原を添地に願は
J20_0245A07: れけるに寬永五年の春隣地三丁四方餘を新に加へ賜
J20_0245A08: はりければすべて六丁四方の大境内となれり然れと
J20_0245A09: も皆芦原にて潮さし引船往來の處なり師やがて是を
J20_0245A10: 築立秋十八間に十五間の本堂並に庫裏方丈惣門中門
J20_0245A11: 鐘樓雜部屋庫物置子院學寮まで悉く備はりければ宗
J20_0245A12: 門一方の大刹となりける此時總房にて化度の所化並
J20_0245A13: に諸國に遊學せる好身の大衆ことことく集りければ
J20_0245A14: やがて善昌寺の檀林を當山にうつし道譽一流の傳法
J20_0245A15: 弘通の靈塲とす時に寬永五年なり
J20_0245A16: 寬永記云元年甲子靈巖雄譽上人法力を以江戸八丁
J20_0245A17: 堀海上を諸檀那土石を運ひ集て陸地に築くここに
J20_0245B18: 於て一宇を建立し靈巖寺と號す
J20_0245B19: 本尊迎置
J20_0245B20: 師未だ雲水の身にて行脚せられし時上總國佐貫城下
J20_0245B21: に安國寺といへる古破の寺あり
J20_0245B22: 安國寺は曆應二年足利尊氏卿東國鎭護のためにと
J20_0245B23: て七堂伽藍を造營ありしより寺領もあまた寄附せ
J20_0245B24: られしかど其のち里見北條の戰にいつとなく寺門
J20_0245B25: 荒廢す元和三年師の門弟住務ありしより淨土宗に
J20_0245B26: 改それより先は天台とも云又は眞言とも云
J20_0245B27: 立よりて本尊を拜瞻せられしに座像の彌陀尊なれと
J20_0245B28: 臺座後光共に落損し光彩見るべくもあらざれど相好
J20_0245B29: 圓滿殊勝なりければ師頻に繫念す我若修學功積りて
J20_0245B30: 當所にて一寺に住職せは必ず迎へ奉りて某寺の本尊
J20_0245B31: と仰ぎ奉らむと無二に祈誓し名殘惜く別れられしに
J20_0245B32: 三十年過て當所善昌寺へ内藤家の請にて住務せられ
J20_0245B33: しかばかの旨を述られ本尊を乞れ許をうけ寺へ迎へ
J20_0245B34: 再興し中尊佛となし禮拜安置ありその後又當山開創

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