浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0210A01: | を常稱とす新知恩寺は洛陽の本山開山師一旦住職の |
J20_0210A02: | 地賜紫にて再び下向し當山を開創せられしかは彼號 |
J20_0210A03: | を用ひられしかど後代いつとなく院號のみを稱號と |
J20_0210A04: | せり |
J20_0210A05: | 享保五子年五月の或記云境内八千二百五十九坪門 |
J20_0210A06: | 前町屋惣小間百二十四間三尺内裏門より西の方角 |
J20_0210A07: | 迄十六間三尺表門より東の方角迄二十八間三尺南 |
J20_0210A08: | の方角より東頰裏門之際迄八十四間三尺 |
J20_0210A09: | 元より開祖の道德宗門は殊更他宗にも時にとりて對 |
J20_0210A10: | すべき法匠なかりしかば大樹を始め尊卑上下一同歸 |
J20_0210A11: | 敬のたなごごろを合せ德を歎嘉し行化を稱讃せざる |
J20_0210A12: | 者なしされは西國の邪法對治の命數千萬の中より撰 |
J20_0210A13: | 擧にあつかり老年をいとひなく國のため法のため萬 |
J20_0210A14: | 里の山川を涉渡せられし事護法扶宗の厚心末代の今 |
J20_0210A15: | も誰れか其の功勳に及ふものあるべき全く法王哀愍 |
J20_0210A16: | 衆生の垂迹におはしませしかは開所の梵刹數十に及 |
J20_0210A17: | ふ然りといへとも當山は其中第一と稱すべし一一の |
J20_0210B18: | 淨刹佛祖の報恩に擬し下化衆生弘通宗門の爲ならす |
J20_0210B19: | と云ふ事なし |
J20_0210B20: | 武德大成二十四云所司代板倉伊賀守勝重京師の諸 |
J20_0210B21: | 務ヲ言上センカタメニ駿府ニ來ル 神君勝重ヲ召 |
J20_0210B22: | シ命アリケルハ近年南蠻耶蘇ノ宗門世ニ行ハレ邪 |
J20_0210B23: | 徒多シ天下ニ令シテ禁斷セシム可シ京師ニ其宗門 |
J20_0210B24: | ノ寺院アリ悉ク破リ毀ツベシト仰付ラル小笠原權 |
J20_0210B25: | 之丞榊原加兵衞原主水等モ耶蘇ノ邪徒タルニヨリ |
J20_0210B26: | テ罪ヲ糾シ放逐セラル 台德院殿麾下ノ士ニ仰付 |
J20_0210B27: | ラレ十人ヲ一組トシテ邪法ヲ撿察シ互ニ穿鑿セシ |
J20_0210B28: | メ玉フ故ニ邪徒皆止ヌ此頃本多上野介正純カ部下 |
J20_0210B29: | ノ士岡本大八ト云者長崎ノ守護有馬修理亮晴信ト |
J20_0210B30: | 交中略晴信カ子左衞門佐直純ハ罪ナキニ依テ御免 |
J20_0210B31: | ヲ蒙リ家領ヲ賜リ長崎ニ往シメ家屬ヲ鎭シム此時 |
J20_0210B32: | 直純仰ヲ承リ後土沙門幡隨ヲ高來郡ニ招テ其法ヲ |
J20_0210B33: | 廣ム耶蘇ノ邪徒法ヲ變ズルモノ多シ邪法ヲ變セザ |
J20_0210B34: | ルモノハ悉ク誅ス |